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どうする家康 第17回 感想 けっせん浜松

波乱万丈な家康の人生において最大級に死を覚悟したであろう三方ヶ原の戦い。打って出た理由も、その後撤退した浜松城で城門を開けたいわゆる空城計も今となっては真意は分からない。次回の真・三方ヶ原合戦で描かれる経緯と理由はシナリオの腕の見せ所と言える。今回三方ヶ原本戦のシーンは一切なく戦場に無残に横たわる徳川軍の姿のみで終わった。重臣も失った戦いのためおそらく次回後追いで描かれるだろう。戦闘シーンが無かったことで明らかな徳川方の失策であったことがより強調されていた。三方ヶ原へ向かう乗馬シーンは相変わらず違和感が残るが、だんだん見せ方が上手くなってきてるようにも見えたw

 

浜松といえば先週は「浜松まつり」が開催されていた。GW真っ只中に松潤出陣で凄い観客だった模様。民放のテレビで中継されていたので見ていたが、直政の馬がなかなかに荒れていたのには笑ってしまった。今年も1度浜松に行く予定だけどむしろこの日だけは避けたw というか松潤参戦発表直後に周辺のホテルはほぼ埋まっていた。戦国大河のドラマ館は楽しみではあるが1年限定のためいつも多少の張りぼて感があって切ない場所でもある。それが桜のようで価値があるのかもしれないけれど。

 

三方ヶ原総括は次回にまわして今回は大河に限らず戦国時代のドラマの違和感について。有事となれば今の時代なら世界中数時間のうちに現場へ向かえる。戦国時代の日本の移動手段は馬があったとはいえ歩兵もいるので人が走るスピードが最速になる。金ヶ崎編では阿月が小谷・金ヶ崎間の約40kmを走りぬいたが、あれはあり得ないにしても数日掛ければ大軍の移動もそれなりの速度で行えるだろう。信玄が支城を落としながらとはいえ浜松に近づいているという状況での徳川側の状況や行動にいささか緊迫感がないように見える。

 

実際文献上では武田軍は10/3に侵攻を開始し、途中の二俣城の攻略に2ヶ月を要したため三方ヶ原の本軍決戦は12月も終わり頃になる。支城は地形上その先に進みにくい場所に配置されているので本軍との激突まで準備時間を稼げる。さらに籠城となれば守る側がかなり有利にはなる。それでも相手は強力な軍備を誇る武田軍。負け戦必至の状況で嫁と佇んでたり、信長を呼びつけたりという時間の感覚に違和感を覚える。

 

どうする家康に限ったことではないが、他家が攻めてきたというときの内部の状況ってあまり資料が見つからない。漫画や小説で読んでも想像上のことなので実際どのような準備をして、どのような布陣で挑んでいたのか知りたい。どこかにそんな情報ないでしょうか。