奇しくも国会議員によるLGBT差別発言のニュースのあった日。非公開の会議での発言のため詳細は語られず。LGBTは種の保存に背くといったことを言った言わないの内容だった。こんなことがニュースにならない日はまだまだ遠い。
発言した国会議員については残念ではあるのだが、それを批判する人たちも残念に思えてしまう。多様性を認める、少数派を差別してはいけないと言いながら、いまや希少にになったこういった意見に抗議する。非公開の忌憚のない議論の場で出た意見がマスコミへのリークによって目に入ったからといって目くじらを立てるのは矛盾している。いまだにこういった意見が出たのならそれが間違った考えであることを教えられるチャンスなのに。社会が認めはじめた途端に少数派を糾弾する側にまわるのはおかしい。
それからLGBTは子孫を残せないから悪という意見に対して、生物学上は彼らも種の繁栄の役割を担っているとかまともに反論するのも変だ。そもそも人間の尊厳の問題であり子孫繁栄など全く関係がない。なんならLGBTのように生まれ持っての性質に対して、社会性のある大人がたちが情報を共有しても認められないような生物の集団であるなら滅んでしまって構わないと思う。少子化問題は全く別の問題であり子沢山の人にはもちろん感謝すべきだと思う。そもそもLGBTの人たちに子孫は残せと言うくらいなら、結婚したくても出来ない、子供がほしいけれど産めない人たちを支援した方が効率がいい。結局あまり考えもせず少子化に加担する人たちというレッテルを貼り簡単なターゲットとして責めたいだけなのだ。そんなことをしている時点で非効率な仕事をしている国会議員なのだけれど。
話が全くドラマにふれていない。まだまだLGBTの人たちには住みにくい世の中なんだなあと感じる。物理的な生きづらさ以外にも少数派であることが一番の原因だろう。多様性を認めると言葉にすることは簡単だけれど、イレギュラーなことをすんなり受け入れられるほど人間は単純ではない。普通ではないこと非日常的なことは一旦立ち止まらなければ受け入れられない。この親子はどちらも少数派であったからすんなり受け入れられた。普通は頭では理解していても当事者になれば戸惑うのは当たり前。違うことと悪いことを何も考えずに同義とすることほどダサいことはない。無理解とは理解力ではなく姿勢のことだと思う。