Quinoss.com

物語の感想やニュースの意見等々を更新しています

どうする家康 第47回 感想 しまいと千姫

戦国の姫の心情を想像するのは難しい。現代の感覚で可哀そうにと思うことは簡単だ。しかしそれは北朝鮮や新興宗教の映像を見て洗脳されていると片付けることに似ている。通常の日本人でも有事となれば天皇陛下万歳となり、何かにすがったりあるいは責任転嫁してしまうことが往々にして起きる。

 

戦国大名の娘。この時代のその立場の異常状態を受け入れなけらばならなかった人たち。政略結婚の矢面に立ち裏切りがあればそれに従わざるを得ない。しかし彼女たちはもしかしたら戦っている感覚だったのかもしれない。男たち以上に。

 

そんな想像をしながら大河を見ているとどこか千姫だけが、一時よく聞いた現代からの転生ものドラマの主人公のようだった。豊臣家に嫁ぎながらも実家である徳川家とも円満でいたい。ずっとどっちつかずで右往左往。しかしおじじの容赦ない大筒攻撃と、彼女をかばう義母茶々の行動により反徳川として立ち上がる。

 

なるほどなぁという感想と今さらかという感覚が交差する。もちろんどんな人でも関係のある人同士が争うことは嫌だろう。ただこの時代の姫として表向きはどう振舞っていたのかは分からない。しかし交戦状態になってしまっていることを受け入れるのが遅くイライラさせる。なんとなくこれこそが今回の脚本の核心だった気がする。

 

「どうする家康」を受け入れた視聴者と受け入れなかった視聴者の境界。それは総括にて。