やっと観ようと思っていた映画が観れた。本当は映画館で観たかったのだが上映場所が少なくて日程合わず断念。不本意ながらレンタルでDVDを借りてきた。映像特典等がありこちらも観たかったのだが時間なくとりあえず本編のみ。しまう前に木内みどりさんのインタビューだけちらっと見た。子供の頃に何かの番組で定期的に見ていた気がするのだが、連続ドラマなのかバラエティ番組なのか検索しても確証を得られたものは見つからなかった。たぶん「元気が出るテレビ」だと思う。笑顔の印象が強い。この映画では巻き起こる事件を身内のこととはいえ客観的な立場で捉えている役柄だ。「豊和の歴史だから」の一言は息子夫婦に生じた食い違いを一瞬で取り払った。どんな生い立ちだったのか大人になった本人には知る権利があると思う。逆に絶対に義務はないとも思う。
2時間越えの作品だったが重すぎた感じはなかった。取り上げたテーマ的に「そして父になる」に近い、ずっとしんどさを保ちながら観る覚悟はしていた。2人の母親に感情移入してしまうと辛い映画だが、散りばめられた地元キャストの絶妙な演技が冷却材のような役割で頭を冷静に戻す。私が映画批評を書くと必ず指摘する一体感の有無。今回はまさかの逆手に取られたかのような印象だ。豊和役の子は良かったと思う。初演技とは思えず他のエキストラに近い方々を圧倒していた。でも役者っぽい演技でもない。丁度俳優とエキストラの調和を図るかのような。たぶん豊和くんのおかげでこの作品ではいつもの違和感は感じずに観ることが出来たんだと思う。もちろんその他の地元の方々の演技もボーダーラインを上回っていたからこそだけどw 素人を入れても水準は落とさないという監督の意志を感じた。
さて本編。島で一緒に暮らす今の母親の気持ちで話が進んでいく。予告を見なくても食堂で働く女が生みの母親であろう描写がいくつもあり、神視点の視聴者は知っている状態。養子縁組最終手続きの段階でそれが発覚する。一度手放した子供を取り返しに来たのかという育ての母親五月の怒り。開き直ったかのような生みの母親茜。でも法律的には生みの親が優先な様子。相容れない2人に訪れる結末は。
はじめは島というものが特殊なコミュニティであることを説明するかのような映像が多く流れる。子供と大人が密接につながり育てられていく。田舎育ちの自分も昔はそうだった。各家の玄関にカギなど掛かっておらず皆知り合いだった。夏休みは集団で海に行きスイカも割った。祭りや運動会、ボランティア活動など大人も子供も大勢でつながる機会が多くあった。今は子供は1人もおらず我々の親世代が住むだけ。もともと小さなコミュニティに少子化の波が来てしまうと歯止めがきかなくなる。逆に島だとそれに抗うことが出来るのだろうか。長島町はこの懐かしい風景をずっと保ってほしい。
そんな密なコミュニティに1年で溶け込んでいる茜に初めは悲壮感はない。息子をひっそりと見られることにむしろ幸せを感じているかのようだ。でも法律的に親子の縁が無くなることが近づいてくると気持ちに変化があらわれる。望んで離れた訳ではない子供とまた一緒に暮らしたい茜。重さを求めているわけではないが、茜の過去のシーンはDVの夫を出してもよかったかなと思う。途中で東京の児童福祉司らしき人が貧困状態の人は助けを正しく求められないという話をすシーンがある。理屈的には私も茜の状態を理解しようとするのだが、最悪病院にあずけろ、子どもの命が最優先だろうという無責任で他人事な感情が沸いてくる。追い込まれた人の心理を理解するにはもう一描写ほしい。そんな感想を書きながら自分が恐ろしくなる。苦しみの証拠がなければ可哀そうとは思えない。想像力が働かない。人を救う行動に出ない。監督はあえて描写を抑えたのだろうか。どギツい場面は皆無で観る人の想像に委ねられている。この世の中に助けを求めている人がたくさんいるということを想像せよ。行動せよと。
最終的に2人の母親の子供といたいという欲求を、子供のやさしさが包み込んだという印象。子供の人生を最優先にしたどちらも本当の母親としての結論だったと思う。リアルな場合こんなハッピーエンドは難しいと思う。せめて法律は生みの親だけを優先するような理不尽は改正してほしい。茜のように納得できる実の親は少ないと思うから。そして生みの親の権利も1度の過ちですべてを奪わないでほしいと願う。