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おちょやん 花籠

最近ブログも怠慢気味。しかしながら本日はおちょやんが見事だったので久々に更新。

 

朝ドラ「おちょやん」をずっと見てる。コロナ禍と戦時中を比べたら戦中派には怒られるかもしれないが、さまざまなことが制限された世の中が絶妙にリンクして視聴者の心に刺さる。さらには主人公千代の人生が不幸の連続過ぎで、自身の少々の苦労は千代に比べれば大したことないと思えてしまう。先週は40才を過ぎたそんな彼女にトドメを刺すような出来事が起きた。苦楽を共にした旦那であり座長である一平の裏切り。不倫の末の子供を盾にしたいいわけに最終的に彼女の心は決壊した。千代の不幸のはじまりも父親が連れてきた継母に出来た子供の為だった。食い扶持を減らすために9才にして見知らぬ土地に奉公に出された。

 

継母役宮澤エマの演技は見事だった。上手いという意味ではなく良くも悪くも大きな印象を残さずただただ悪人でフェードアウトしたこと。花籠の人物としては完全にノーマークだった。初めはテルヲ(父)かヨシヲ(弟)だろうと思っていた。しかし終盤にきて二人が死んでも花籠は届く。誰なのか全く分からなくなった。消去法で登場人物全員を見渡せば物理的に彼女しかいなかったわけだし、実の子供の成長を見ていて罪悪感に苛まれるというのも想像出来るシナリオだ。まさかの再登場ですべて回収された。千代のピンチにすぐに駆け付けられたのもずっと劇場に観に来ていたためだった。

 

テレビドラマや映画は小説等に比べるとあからさまな匂わせ演出を挟むことが多い。悪人が善人っぽい面を見せたり、犯人ではない人物がいかにも犯人っぽい行動をしたり。そうやってワザとらしく真相にやっぱり感を演出する。今回はそれが無かった為に全く気付けなかった。単にドラマ慣れしてしまって自分の視野が狭くなっていたともいえるが、そこを逆手に取られたとしても素晴らしかったと思う。継母栗子の登場で花籠の真相は明かされると予想していた。それでも実際に千代に直接花籠を渡したシーンは感動的だった。

 

千代の不幸の根源は父のテルヲだった。そして最初の大きな試練は栗子によってもたらされた。そこから幾多の努力も家族によって壊されてきた。そしてようやく自分の家族を作れたと思ったらまさかの裏切りに。その立ち直れない状況から助け出してくれたのは栗子だった。しかも偶然あらわれたのではなく、ずっと見守ってくれていたからこそすぐに手を差し伸べることが出来た。残り10話のフィナーレに向けて最高の演出。