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麒麟がくる 第五回 感想 視聴率の意味

今回のミッションは京都へ再び、鉄砲鍛冶・伊平次を探せ。

 

結構な時間を費やしてこの時代の「鉄砲」が広がる流れを教えてくれる。幕府が隠密裏に鉄砲を増やそうとしていても、情報は洩れ各地域の大名たちが手にし始める。鉄砲が必要だとする久秀の鉄砲論は非常に興味深かった。でも最終的には人間の想像力に頼る威嚇としての力ではなく、本来の機能や威力を十分に理解し戦場に用いた信長が天下を治めていくことになるのは皮肉なところ。しきりに鉄砲の機能性を疑い、改良の必要性を感じている光秀の考えが後々誰に反映されるのか。久秀と光秀が実際にこのドラマのような近しい間柄だったとしたら、さらには光秀が久秀の家臣だったとしたら天下の状況も今の日本の姿も全く違うものだったのかもしれない。

 

それにしても伊平次にたどりつくまでの道のりが奇跡的。今のところ麒麟がくるの全体的なシナリオに文句はないのだが、毎回のミッションを安易に奇跡的にこなしていくところが物語にいい意味でも悪い意味でも軽い印象を与えている。見やすさという点では良いのだが、違和感というかリアルさという点では残念に映る。そこは「時間を要した」とか「何度かの試みで」とかナレーションで適当にごまかしてでもたまには苦労感を入れておいてほしい。特に伊平次ミッションは奇跡の連続過ぎて萎えた。本能寺での立ち回りは義輝が登場しなければミッション終了どころか麒麟がくる終了と紙一重だったわけだし、主人公は派手な衣装で鉄砲を背負いながら動き回らず、地味な衣装でコソコソと頑張ってほしい。

 

面白い記事があった。

年齢や性別だけでなく、所得や見る番組の傾向から割り出した視聴者層の推移をグラフ化している。しかもまだ記憶に新しい最近の戦国大河との比較。こじつけ的な強引さは否めないが分析の1つの視点としては面白い。コメントを見ると視聴者に媚びても仕方がないとか、視聴率自体への信頼性がないとかいうものが多い。しかしNHKも民営TVとは異なるとはいえ視聴率や関連物の売上・利益というものを念頭に番組を制作してもらわなければ、受信料だけで行われる慈善事業になってしまう。監督の自己満足の映画ではなく、あくまで何かに支えられて制作しているのなら利益も追及することでより良いものが出来上がる可能性は上がる。それに見る人が少なければ制作陣のモチベーションも変わってくるだろう。精神的な部分も影響は大きい。

 

私の想像する見解としては4話にしてこの分析内容の結論は早い気がする。というのも今年は2年ぶりの戦国大河+沢尻逮捕で例年以上に大河ドラマの新規視聴者が多かったはず。となると例年以上にふるい落とされる人数も多くなる。さらに民放バラエティが頑張っているので両方好きな視聴者はどうしてもじっくり見たい大河ドラマを録画に回す。特に比較されている真田丸は序盤からずっと草刈正雄の真田昌幸がバラエティ組の心もつかみ続けていたのでリアルタイム視聴も多かったと思う。今年の大河は近年の作品の中でも初心者が見やすい大河だが、その層を引き留め続けられるエンターテイメント性は低い。その役を今年は吉田鋼太郎が担っている感じがあるが登場頻度が少なく、岡村にいたっては終始まじめ。試し見の視聴者は既にキレイに一掃されたのではないだろうか。

 

第五回は視聴率微減でBSが微増。やはり下げ止まった感がある。まだ三英傑が本格登場前なので余力を残している状態で13%台なのは良かった。史実とはいえ大筋は皆が知っている物語を、主人公を変えて2~3年に1度1年間に渡って放送する。戦国大河とはつくづく不思議なドラマだと思う。最後は三日天下で終わることが分かっている主人公のドラマを大勢の人があーだこーだと賛辞と文句を言いながら観ている。今しばらく麒麟が来なくても大丈夫な幸せな国なんだろう。

 

宣伝広告としての価値=視聴率であるならばその指標も昭和・平成とは変えるべきだと思う。ましてやNHKのドラマならその支持率は別の視点で表すべきだ。観ている人数こそが基本だとしても、熱狂的な視聴者の比率により反響や生み出すものの量は変わってくる。熱視率なる指標もあるが、支持を得ている感覚をもっと実際に近い形で伝えてほしい。制作したドラマ班には正当な賛辞や支持を伝えてあげてほしいと思う。頑張れ麒麟がくる制作陣。