「キン肉マン」が40周年だ。アニメや漫画の初期、完全ギャグ路線だった頃のリアルタイムな記憶がないのはまだ自分が幼かったからだと今更ながらに思う。超人オリンピックや悪魔超人等で大人気になり、キン消しやファミコンソフトが出始めたのが小学生ど真ん中。どハマりしたのは言うまでもない。「闘将!!拉麵男」とともに何度読み返したか分からない。そんなキン肉マンも最新話は追いかけていてコミックスも買ってはいるが、ここ10~20年くらいは既刊本を読み返してはいない。そろそろ記憶も薄くなりまとめ読みには良いタイミングかもしれない。アタル復活の最新話掲載のプレイボーイと図鑑も買った。ゆったりとキン肉マンの世界に浸る準備は整った。
それにしても自分が40才を過ぎて「キン肉マン」を読んでいるなんて想像出来なかった。いろんな意味で。フェニックスを抱え上げ幕を下ろした最終話を読んだ時の寂しさは今でも覚えている。漫画がリバイバルで復活するなんて今では当たり前だけれど、この頃にはまだなかったし永遠の別れのような気分だった。それが復活して今ではジャンプを買わずにして最新話が読める夢のような状況だ。どちらかといえば少年マンガのなかでも低年齢層向け?なのに大人になってもおっさんになっても読んでいる不思議。40周年に際して記念号のプレイボーイや他の記事などを読みながら、なんとなくその理由を紐解けたような気がした。
それはたぶん「ゆでたまご」が2人だからだと思う。中井先生と嶋田先生の性格の違いが「キン肉マン」の新陳代謝を常に促し続けている、これがこの作品を古くさせない理由ではないだろうか。
正直なところ今から32年前に最終回を迎えたときに、ドラゴンボールや聖闘士星矢などに比べると思春期の少年が読むには子供っぽいというか、キャラクターやノリが幼く感じてしまうのはヤムナシかと思っていた。後に連載されるろくでなしBLUESやスラムダンク、花の慶次など初見の大人でも入り込めるクオリティーの漫画が主流になる。不細工な主人公が着ぐるみを着たような敵たちを倒していく漫画は時代遅れ。キン肉マンは時代とともに去っていった。
その後学生時代はビッグコミック系(MASTERキートン等)や松本大洋、よしもとよしとも、魚喃キリコ等にハマり少年マンガから遠ざかることになる。社会人になってからもリアルタイムで追いかけているのは「はじめの一歩」くらいで、仕事の忙しさやスマホの手軽さに負けて漫画を読む量も激減した。
途中「キン肉マンⅡ世」が始まり読んでいた時期もあったのだが途中で離脱した。ヨボヨボのキン肉マンやゲッソリしたラーメンマンを見ているといたたまれなかった。思い出と変わってしまっただけでなく、「現役」のキン肉マンにすら高揚出来なくなった自分に対しても寂しかった。
さらに時代が進み王位争奪編後の「キン肉マン」が始まった。テリーマンの髪の長さに違和感を持ちながら読んでいると、かつて活躍した超人たちの戦いに興奮した。最新シリーズでは初期の脇役超人たちの活躍や5王子の復活で、完全に小学生の自分を取り戻したような感覚で読んでいる。WEBの更新が2週間先のときは憂鬱になる。
途中に挫折しかけたが今の「キン肉マン」への情熱値は非常に大きい。個人的にキン肉マンを取り戻せたのは作者ゆでたまご先生のおかげだと思う。
中井先生の絵の凄さは前に書かせてもらった。キャリアが20年、30年クラスになると絵のクオリティーが下がる漫画家も多いが、中井先生は丁寧にかつ進化している。これは読者のモチベーションを上げる。指摘していた色のバランスについてもプレイボーイの表紙の兄弟の絵は素晴らしい配色だった。この年になってもこれが出来るのは、本来漫画家がもう1つ悩むストーリーを嶋田先生が引き受けているからだろう。
嶋田先生のポリシー的にはおしっこを漏らすキン肉マンを辞めないこと。バカバカしいと思える設定に無意識の制限をかけないことに尽きる。現実無視のリング設定やダメージがどこにあるのか分からない技など、常人ではブレーキをかけてしまいがちなことも面白さやカッコよさを優先させる。キン肉バスターは現実ならかけてる方が痛そうだ。
それから自分がキン肉マンに戻れた最大の要因はWEB漫画への移行だったと思う。これが両氏の意向だったかは分からないが、ネットの手軽さに漫画が駆逐されそうな現代において逆転の発想というか、紙を捨てることでジャンプ連載時の興奮を取り戻したゆでたまごの逆転ファイトだ。
細分化して各ストーリー別に感想を書きたい気分だが、とりあえず67巻まで一気に読み干したい。