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アイシールド21 / 蛭魔妖一

新型コロナのせいで各ドラマのスタートもバラバラになり、1話からまともに見れているのは半沢くらい。春夏はイベントや行事がなくなりなんだか調子が狂ってしまった。そこで少し昔の漫画を引っ張り出してきて、あえて作者でも原作者でも主人公でもない人物にスポットを当ててみる。

 

少年ジャンプの現編集長である中野氏の記事を読んだ。出身地である福井県の情報ポータルサイトふーぽで見ることが出来る。

【前編】創刊50周年の週刊少年ジャンプ編集長は、なんと福井県出身!! ふーぽが特別インタビューしてきたよ!|福井の旬な街ネタ&情報ポータル 読みもの ふーぽ

そこで断言されているのが「キャラクターがすべて」だということ。思い浮かんだのはアイシールド21における蛭魔妖一(ヒルマヨウイチ)というキャラクターだ。彼は主人公ではない。しかし彼無くしてこの漫画は成立しない。彼自身ももちろんアメリカンフットボール部のプレイヤーではあるのだが、注目されるのはその司令塔としての策士ぶりである。アメフト自体はダマしダマされ合うスポーツではあるのだが、さらに柔道で言う「柔よく剛を制す」のごとくスペックで劣るチームを頭で勝ち上がらせていくのである。

 

アメフト経験のある人間からするとありえない設定ばかりだし、何より常にマシンガンを携帯し気に入らないとぶっ放しているいかにもマンガ的な破天荒キャラだ。アニメ版では声をロンブーの淳が担当。フォーメーションやプレースタイルだけでなく口(クチ)で相手を翻弄していく。憎らしく非道なことばかりを押し付けていくが理にもかなっていてまわりはどんどん引き込まれていく。そして隠れた努力の人であることも判明していく。理屈として「あきらめない」彼の姿勢はアメフトやその他のスポーツのみならずさまざまな場面で見習いたくなる。勝利のために仲間にあきらめたふりをしたりさせたり、そこまでやるかの連続にまさにアイシールド21とは蛭魔妖一劇場といえる内容になっている。

 

ネタバレは極力控えて、いかにキャラクターの魅力を伝えながらこのブログを読んでくれた人を作品に導くか。作品を紹介するときに心がけていることだ。しかしながら彼の魅力を十分に伝えるられる自信はない。

泥門デビルバッツ - Wikipedia 

彼の概要についてはウィキペディアに余すところなく記載されている。これだけでも凄くこの漫画が読みたくなってくると思う。実際また連休中にでも読み返したくなってきた。一度でも読んだことのある大好きな作品の場合、その好きな場面が近づくにつれてもうすぐ、もうすぐ、きたー!といった感じで読むことが多いと思う。スラムダンクでいえば「バスケがしたいです」や「あきらめたらそこで試合終了」等。個人的には山王・沢北のダンクを阻止する桜木の「返せ」だが、それはまた別の機会に語りたいところ。

 

アイシールド21におけるそういった場面といえばやはり蛭魔がらみが多い。その中でも屈指の好カードとなった神龍寺ナーガ戦。誰もが挙げる名シーンだらけの関東大会1回戦。これでもかというくらいに敵戦力の圧倒的強さに勝ち目なしの印象をまず読者に与えてくる。主人公セナの相手エースへの強襲も全く歯が立たない。それでも蛭魔は何度も行けと指示する。味方は為す術なしの雰囲気。そこから蛭魔の反撃が始まる。もちろん個々の超人的な能力に支えられたあり得ない戦術ではあるが、いい意味でそんなのありか、アメフトってこんなことしてもいいのかというむしろ知らない人ほど楽しめるまさかのプレーでたたみかけてくる。

 

前半戦の負けっぷりは後半のトリックプレーへの布石。力ではかなわないという事実を演出し逆に相手エースを無力化。ベンチウォーマー補欠要員だったひ弱キャラ雪光を投入し相手のスキを突く。巧妙に仕込んだロングパスからエースレシーバーモン太の奇跡。さらなるトリックプレー。そして最後の最後に元祖泥門デビルバッツで押し込む。団体戦のスポーツ漫画の1試合で正味3巻分。中身の濃さでは随一の試合だと思う。中でも最終盤の蛭魔が観客をあおって始めるトリックプレー。実際のアメフトでもベンチに話しかけるふりをしたりノーコール(掛け声なし)で始めたりするのは、ここぞという時に結構やったりする。こズルいプレーではあるが反則ではない。しかし蛭魔のように観客を使ってさらには2重に仕込んだトリックはさすがに現実には見たことがない。それでもあの場面、力の差では負けているときにこれ以上効果的でかつリスクを抑えたプレーが現実的にもあるだろうか。

 

アイシールド21の最大の特徴は、万能な天才たちを1点突破の偏った凡人たちが努力と奇策で倒していく痛快スポーツ漫画だということ。むしろ欠陥こそが相手を落とし入れるための武器であるかのような蛭魔妖一の作戦は作品の面白さだけではなく、我々に生きる勇気と活力を与えてくれる。