Quinoss.com

物語の感想やニュースの意見等々を更新しています

川崎殺傷事件

関係者方の哀しみが続いている中で、時を待たずして凄惨な事件・事故が次々と起こる。あまりにも辛い出来事が多いのでこれまでメディアを遠ざけている人もいるのではないだろうか。きれいごとではなく今日本でこういった出来事を抑止する方法がないか本気で悩んでいる人々もいるだろう。

 

被害者・加害者に関係なくプライバシーを暴くマスコミのやり方に関する批判、「一人で死ね」と言ってはいけないという意見に関する賛否両論、テレビとゲームが部屋にあったという情報。被害者を置き去りにした情報や意見が飛び交っている。

 

さらにはまだ一週間も経っていない中で犯人を「無敵の人」と断定し、自分とは無関係であると言わんばかりに意見を戦わせている。加害者は亡くなっている。何を思ってこのような凶行に及んだのか、どのような背景があったのかは分からない。一部の情報だけで結論を出して安心して無関心になって忘れる。いつもの日本人のパターンだ。

 

孤立無援な人、家族や友人などのしがらみの無い人を「無敵の人」と言うらしい。たとえ死んでも残される人に思い入れはなく、むしろ困らせたいくらいの感情を抱く人。批判される意見かもしれないけれど、本当にこのような人だったら攻撃対象ではなくむしろ救うべき対象だったのではないだろうか。

 

もう一度記すが、①事件が起きて②理由を探して③結論付けて④安心して⑤忘れるをどれだけ繰り返すのか。悪質タックルの犯人を断定する、扇動に対して脆弱な国民性を指摘したことがブログのきっかけだったが、切り取り報道の話題があったにもかかわらず1年経った今も日本は変わっていない。

 

中高年の引きこもりが多くなり問題化していることは統計で明らかになっている。でも無差別殺人事件が発生する割合はむしろ減っているらしい。ここまで激増した引きこもりに対して、殺人やテロが国内で増えた印象はない。それならば危険視される無敵の人たちは道づれではなく、1人での死を選んでいる可能性の方が高いと推測する方が自然だ。救うべき対象を攻撃対象に印象操作し、救わなくても自分が責任を感じないようにするためのいいわけ。

 

 増え続ける引きこもり対策も、増えていない無差別殺人対策も現実と向き合い、事実を検証し本当に救わなければいけない人々を見失ってはいけない。