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明石市長の暴言問題について

今月は記しておきたくなる報道が多い。

 

今回は明石市長の暴言問題について。これは日本人がマスメディアの扇動に対して弱いところが顕著に表れてしまった実例としてとても分かりやすかった。

 

「火付けてこい!」フィクションのドラマのパワハラでも笑ってしまうくらいのあからさまなセリフ。その報道を見聞きした人々が一斉に苦情電話。反応が早い。しかし引っかかるのは少し前の出来事であることと選挙前のタイミングであること。

その後ある報道機関がそのセリフが含まれるやりとりの前後を公開した。そうすると全く異なる印象のやりとりが浮かび上がってきた。道路の建設工事に必要な用地買収。しかも死亡事故が起きている為、速やかな工事が望まれる場所。その交渉の値段提示もせず7年間放置していた職員への叱責の一部だった。公務員という性質上、商売でないため何もしなくても給料が下がったり食いっぱぐれる心配もない。楽な商売しやがってと言う市長の気持ちは分かる。

 

だからといって今回のセリフも、この前の教師の平手も許されるものではない。ただその背景によってその行為の意味合いは真逆の印象になる。一部を見てすべての結論をすぐに出し、感情のままにその行為を糾弾する日本人はそろそろ恥ずかしいと感じるべきだろう。私が市民ならどんな人かも分からずに適当に1票入れるくらいなら、人となりが少しでも分かったこの市長に1票を投じたくなる。それでもまだ完全に市長が正しかったかは断言しきれない。この一連の流れは全部公開されたら叱責されている部下の立場も大変なことになる。それなのに隠し録りされて、このタイミングで公にされた理由を検証するべきである。誰かの意志で偏った報道により市民を扇動しようとする行為は、民主主義を逆手に取った社会への反逆行為であり独裁者のやり口である。

 

私のブログのスタートの切っ掛けも同じようなことからだった。日本人はこの情報蔓延社会の中できちんとした免疫をつくり、吟味のされていないニュースにはすぐに反応せず、それが正しいとはすぐには思わず一呼吸おいて行動すべきだということを肝に銘じなければならない。勘違いをした集団心理が、間違いを犯していない人間の人生や命を奪ってしまうことにもなりかねないのだから。

 

それにしてもそうならない国民性の国も多いようだ。どうやって切り取られた情報に惑わされない意識を保てるようにしているのか。その国の文化なのか教育なのか知りたいところだ。