桜田五輪担当大臣の何回目かの失言報道により、ようやく大きく話題になり始めた「切り取り報道」に関する問題。結局大臣のすべての発言を聞いてみれば、単語としての選択ミスはあったかもしれないが全体の意味合いはほぼ国民の総意的な問題ない発言だった。もちろんマスコミの恣意的な報道にも罪はあると思う。ただしマスコミは商売という部分があるため、嘘で煽ったりスピード重視のあまり真実を伝えきれていなかったりする場合がある。正確で時間をかけた取材によって信頼を得ていくマスコミもあれば、速さを重視し嘘でも他者を出し抜くことに重きをおくマスコミもいる。それで商売が成り立ってしまう土壌をまずなくさなければならない。
たぶん今回の話題もマスコミが悪いという一時的な報道ですぐに忘れ去られていくだろう。こういったことを何度繰り返すのか。諸悪の根源はマスコミは常に正しいと思い込んでいる受け取り側である。切り取りだろうが全体だろうがこれは真実かどうかまず考えてみることが大切だと思う。今見聞きした情報を反芻なしで右から左へ受け流す。マスコミの拡散ルートの1つをボランティアで担っている大量の無意識の偽善者たち。なぜ1度この報道は本当だろうか、バカッターの動画は最近のものか、仕組まれた可能性はないか、真に受けてよいのかと疑わないのだろうか。
嘘の報道、切り取り報道をしても世間からは大きなお咎めもなく、またすぐ勝手に拡散させて売上や視聴率を上げてくれる。いい加減な報道やそれを真に受けて流布させた場合に恥ずかしいと思える国にしなければならない。海外の一部では切り取り報道に厳しい国もあるようだ。対人関係なら、いやビジネスにおいても嘘を言うような相手と付き合えるはずもないのにどうしてマスコミならこれだけ嘘を言っても、ずっと正しいと思い込み付き合えるのだろうか。嘘の報道があった場合は法的な罰則ではなく、国民の感情としてその報道機関からの情報を受け入れない、商売として成り立たたせない姿勢が必要だと思う。
フェイクニュースという昨年NHKで野木亜紀子オリジナル脚本のドラマがあったが、全2回と短かったこともあってあまり話題にはならなかった。新井浩文が出ていたので販売商品もしばらく出せずこのまま忘れ去られる可能性が高い。切り取り報道とは異なるが、情報の真偽はどうでもよい視聴者が扇動されて大ごとになる流れがよく分かるストーリーだった。マスコミを担っている報道局側の製作になるので大変だろうけれど、報道マンも1視聴者であると思えば業界の健全化の為にもこのようなドラマや報道をまたお願いしたい。
目の前の情報は偽物だと思う必要はない。本当だろうかと一旦疑うこと。違ったらどうなるだろうと想像してみること。一呼吸置くこと。拡散の一端にならないこと。冷静になること。真実ではないことを真実だと思い込む心の弱さを捨てよう。それは考えることを放棄しているということ。ライオンが逃げたといういたずら的なツイッターならまだ被害は少ないが、マスコミも政治家も警察ですらも利益や保身のために嘘の情報で、真に受けやすい国民を結構な頻度で騙している。ダマされているということ。既に被害はたくさん受けてきた。そろそろ嘘を垂れ流す奴らに鉄槌を下すべきではないだろうか。ごめんなさい、さあ次のフェイクを作ろう。この繰り返しをいつまで続ける?日本が潰れるまで?