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BUMP OF CHICKEN / LAMP

立て続けに彼らに関わる番組を偶然見た。「18祭」は何故か今回もNHKに合わせたら、嘘みたいにたまたま冒頭をやってた。「関ジャム」は最近ついていけてないおっさんの貴重な音楽情報源としてちょくちょく見てたら今回はバンプ特集だった。

 

「LAMP」から「天体観測」まではめちゃくちゃヘビロテだった。自分が20代前半の頃。スペースシャワーTVから流れてきた「LAMP」に撃ち抜かれた。なんかマトリックスのパロディのようなPV。でもその曲のインパクトもさることながら、明らかに年下のやんちゃ坊主たちの楽曲に心を持っていかれたことが衝撃だった。宇多田ヒカルも同じころの出現だが何故かそんな感情は抱かなかった。今でこそ若くして天才的に活躍している人たちは多い。彼らが登場するまではどこかでアーティストは年上の大人という擦り込みがあった。バンプに出会えた喜びと同時に何故か物凄い焦りも感じた。見直してみると「LAMP」の発売月と最初の仕事を辞めた月が一緒だった。

 

LAMP BUMP

「FLAME VEIN」や「THE LIVING DEAD」の曲の並びを見ているとどれも鮮明に覚えているし、新卒すぐで仕事を辞めた人間には沁みる歌ばかりだったなと思う。「LAMP」はもちろんありがたかったし、「グロリアスレボリューション」はナンボのもんじゃいどうにかなると思わせてくれたし、「バトルクライ」には沈んだ心を引っ張りあげられた。しかし「天体観測」の入った「jupiter」は「ダイヤモンド」以外曲名を見てもピンとこない。買って聴いてたはずなのにあまり記憶にない。発売を見てみると2002年。無謀にも次の仕事が決まってから結婚して子供が生まれた年。入ってみたら沈没寸前が分かった会社にいたときなのに我ながらスゲいw 今思えばどこかでやんわりとした罪悪感と共存していたように思う。「天体観測」もかなり聴いたけど実質それが最後だった。

 

もちろんそれ以降のバンプの活躍を認識はしている。ただシングル名を見てもどの曲かは分からない。朝ドラは見ているのでさすがに「なないろ」は知っている。映画やアニメのタイアップ曲も聴けば分かるといった程度。何故聞かなくなったのかは自分でも分からない。でもそのときは色濃く心をつかまれていたのは間違いなかった。

 

関ジャムを見ていると崇拝しているアーティストたちが、しゃべる藤原をありがたがっている感じに違和感があった。デビュー時にもスペシャで見たくらいだけど、何となく彼には悪ふざけしながら饒舌にしゃべるイメージがあった。売れてからはあまり表に出てなかったということなのか。誰かも言ってたけれど語り方がまるで歌詞の世界。「ガラスのブルース」が伝わった話や「天体観測」の再レコは8人作業とか。変わってないというか相変わらずだなあと感じた。しゃべりにも新曲の歌詞にも伝えたい、救いたい思いが溢れている。

 

出会った時期というか年代が違うので仕方ないが18祭も関ジャムも「LUMP」に一切触れていないのが寂しかった。18祭でちょっとだけそのとき制作していたスタジオが出てきたとこだけ嬉しかった。2番組を見てからさすがにその頃の曲や新曲、認知している曲などをYoutubeで見てみた。「窓の中から」相変わらずの1行1行余すことのないのワードセンス。ひきこもっている心を引上げ解放してくれるような気持になる。天体観測以降の売れたであろう楽曲たちもざっくり聴いてみた。そこでなんとなく自分がバンプを遠ざけた理由というか、思い込みが分かった気がした。

 

今まさに彼らを大好きな人には全力で否定されると思う。自分の勝手な思い込みから来る印象であることも分かった上でいうと藤原の立ち位置の違いが原因に思う。「LAMP」や「バトルクライ」等は彼自身に言い聞かせているように聞こえる。そのため当事者感覚というか聞き手も彼と同化する。対して「窓の中から」は彼が外からあるいは上から見ているような感覚。あくまでもこちらは救われる側。同じようにもがいているような彼が横にはいない。

 

その頃に戻れるというおっさんの特権アドバンテージがあるから、車で久しぶりに聞いた「LAMP」は良かった。1度聞いたらすべての歌詞が蘇った。帰り道遠回りして4回聞いた。3回全力で歌って1回しみじみ聞いた。「天体観測」以降の曲と比べた時の荒々しさがむしろ心震わすスパイス。プロとしてアーティストとして駆け上がった彼らにはもう奏でられない歌がそこにあった。

 

それにしてもLAMPのPVがネット上から完全に消されている。めっちゃ見たい。VHSが実家にあったような気もするが、あったとて見るすべがない・・・。