Quinoss.com

物語の感想やニュースの意見等々を更新しています

ひきこもり対策の声は聞こえてこない

統一地方選挙の真っただ中で私の地域にも選挙カーが毎日やってくる。仕事で電話をしていると非常にやっかいなのだが致し方ないのかなとは思っている。21世紀の最重要課題である少子化は震災やコロナの影響でますます拍車がかかり、日本滅亡へ加速の一途をたどり続けている。数年前の予測を事あるごとに下方修正・・・した責任は誰も取らず、相変わらず声高に少子化対策を叫んでいる。異次元の代案もなくいつもと同じような政策を並べて。もう出来ないなら出来ない方向性の施策をやった方がいい。

 

受けのいい少子化対策を前面に出しながら表向きには施策の声がほとんど聞こえてこないもう一つの課題。ひきこもり問題。少子化、人口減少、担い手不足の世の中ならむしろ自然減となってもいいくらいなのに数年に一度の調査で驚くほどに増える。少子化問題もひきこもり問題もすぐに解決出来ない課題なので、任期中に結果を出す必要がなく単なる選挙活動の道具にされているだけではないか。やったやらなかったに関係なく、結果どころか悪化させている同じ候補者に毎度毎度投票する国民の自業自得なのだが。

 

少子化対策については前に述べたが、未婚者や子供を持てない既婚者への異次元の景気対策しかないと思っている。該当者の社会不安をいかに払拭するか。子供を持っても「なんとかなる」と思わせられるかだと。ひきこもりについてはさらに根深い社会構造の問題だと感じている。こちらも景気や格差が最大要因ながら、バブル崩壊前とは変わった価値観や生活様式に原因があると思っている。

 

個人的には今の時代に生まれていたら自分がひきこもりになっていた自信がある。いくつかの経験を踏まずにネット環境がある今のような社会に投げ出されていたら、おそらく心が壊れていただろう。ChatGPTを危惧する話題がニュースになっているけれど、人類は既に情報に取り込まれAI登場以前からありもしない幻想に翻弄されている。本来なら出くわさなかった障害と対峙し、心のダメージが体に刻まれ戻れなくなってしまう人たち。嘘という鉾が刺さらない心の盾を持たず、素手で社会に立ち向かってしまった人たちがひきこもりだと思う。

 

今の子供たちは大変だ。インターネットやスマホがある時代。まずこのあるなしによる影響が大きい。我々が子供の頃のようなファミコンを持っている持ってないとは次元の違う強力なアドバンテージ。遊び道具が1個ないということとは意味合いが全く異なる。持ったら持ったで薬にも毒にもなる相当やっかいな代物。草むらでエロ本を拾う、夜中に息を殺して11PMを見る、ゲームの攻略本を読む・・・低俗な努力は一掃された。ただこれはまだ毒ではない。インターネットの毒とは情報をすぐに拡散出来るということ。現実を切り取った集合体が嘘の現実を作り出し、個の立ち位置となる架空の座標を作り、そして奈落に突き落とす。

 

大昔から扇動行為は存在する。群集心理を利用しマーケティングやプロパガンダに利用されてきた。だだネットが生まれる以前は明確な首謀者が存在し、見抜いて糾弾すれば覆すことが出来た。今は仮想現実が独り歩きし、本当の社会と嘘の社会の区別がつかなくなっている。巧妙にそれを利用されると首謀者を炙り出せず、それが現実だと思い込まされ修正することが出来ない。

 

結局は幻想からくる見栄の張り合い。バブル以前は一億総中流社会。今の実際は一部の上流が平均を上げているだけの下流社会なのに、一億総上流社会のような生活を求められている。派遣法の改正や働き方改革により平均所得は下がっているはず。でもほとんどの人間がスマホを持ち、パソコンを持ち、高い家賃の部屋に住むか車を持ち、高額な社会保険料を払い、税金を払い、物価の高い食料を買い生活している。その歪みはどこに現れるのか。

 

スマホを持たない子供への差別・いじめ。お友達とのSNS縛りのストレスからくる攻撃性。見栄の生活を維持するための強盗・強奪。人件費削減のための雇止め・リストラ。生活苦からの児童虐待・育児放棄。回転ずしでいたずらしたら一億総袋叩き。一億総監視社会。インスタ・ライン・TikTok疲れで社会からドロップアウトしても復帰の術はインターネット。あの子は部長職でゴルフ三昧。あの子は3人の子持ちでマンション住まい。あの子は株で大儲け。あの子は公務員で地域貢献。年賀状をやめても知りたくもない現実が飛び込んでくる。嘘の現実が。良いことだけで繕われた張りぼての空間の内側にはさまざまな真実がある。

 

平均寿命が延びれば介護人数は増える。高齢出産が増えれば障がいを持つ子供は増える。科学技術が発達すれば雇われる人数が減る。世の中、良かれと思ってやってることにもマイナスの側面がある。真の少子化対策を実行するにはおそらく相当なリスクを覚悟でやらないともう効果はないだろう。いずれにしてもバブル時代から30年かけて一億総リスク時代に入った。こんな時代から逃げ出す術はもはやひきこもりしかないのかもしれない。これが自分の本心でやれる者は強靭な心の持ち主か、社会の価値観に飲み込まれない知性のある人だろう。ほとんどのひきこもりが本当は生活環境を変えたいと願っているはずである。

 

現在ひきこもっている人たちを助ける方法はまだ思い浮かんでいない。医学的なことが最優先になると思うので軽はずみに言う気はない。せめてこれ以上のひきこもりを増やさないためには、虐待に遭う前・いじめに遭う前・社会に出る前までの教育しかないと思う。教育といっても先生だけの仕事ではなく一番は親で、兄弟・近所の人・先輩・友達・だれでもいいからあなたは目の前の理不尽から逃げていい、助けを求めていい、耐えるプライドに価値などないと伝えることだと思う。何よりもあなたの心が大切だと。

 

そんなことは直接言ったって伝わらないことも事実。心に伝えるのも言葉ではなく心だと思う。ときに泣き、ときに叱り、ときに笑い心を伝える。本人に言わなくてもよい。むしろ人づてで知る方が効果がある場合もある。これは何を言ってるのか分からないと思うのでたわいもない私の支えを記したい。

 

個人的に今でも心の支えになっているいくつかの思い出がある。今は亡き祖父母のこと。高校生の時まで同居し、社会人になってからも3年一つ屋根の下で生活していた。それこそ子供の頃の祖父は怖かった。殴られこそしなかったものの怒鳴られることはしょっちゅうで物が飛んでくることもあった。祖母に対してもあたりは強かったが彼女は舌を出して笑っていた。なんでこの二人は夫婦なんだろうと孫ながら思っていた。そんな二人が昨今のジイジ・バアバ(いまだにこの呼び名に違和感しかない)のような全面甘やかすようなキャラではない中で見せた孫愛があった。

 

ある日の子供の頃、自転車ごと田んぼに突っ込んだ私は間違いなく祖父の逆鱗に触れると思っていた。誰かに聞いてやってきた彼は無言で泥だらけの私と自転車を引き、家の水道でどちらも洗い流してくれた。全く怒られなかったので逆に覚えている。幼稚園の餅つき大会で私の番になったときに急に手を上げて、付き添いの大人に孫だから変わってくれと勢いよく出てきた時もキャラが違い過ぎて嬉しさよりも驚きの方が強かった。常に味方だった祖母はいろんな相談に乗ってくれていた。私が大学に行ったときに妹から「ばあちゃんが涙が止まらんて言っとる」と聞いた時はさすがにキツかった。社会人になってまた一緒に住んでいた時、家内安全を願う祖母は家族親戚全員の名前を紙に書き誰一人欠けないように仏壇に唱えていた。

 

誰かの教えやアドバイスが無意識のうちに血となり肉となることはあるだろう。ただ普段やピンチの時に思い出せることは理屈を超えた何かであることが多い。あなたのためを思ってやっているではなく、純粋な愛情が言葉ではないものやあるいは言葉の奥に感じられたときに、外部からの理不尽や悪意に対抗する心の盾になるのだと思う。当たり前が当たり前ではないことを、理屈ではなく心へ直接教えられる人に出会えるかが誰かをひきこもりにさせない唯一の方法だろう。ということはひこもりの問題は本人ではなく周りの人間の影響が大きい。

 

こうやって勝手に考えたことだけど少子化対策は物理支援、生まれた後は心の支援が必要なんだと思う。なかなか親子って一筋縄ではいかないものだ。比べるのも変だけど学生時代の先輩後輩は1学年飛ばした方が関係性が作りやすかった。なので親よりも祖父母あるいは叔父叔母、いとことかの方が伝わりやすいのかもしれない。身近なところに心のダメージを抱えた人はいないだろうか。たてよこのつながりが広がって支え合う構造をつくろう。親もいろんな人にSOSを送ろう。政府はそんな啓蒙をしてほしい。