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獣になれない私たち / 新垣結衣

初めて違和感のあった第9話。それも多々。

 

息子の元カノと今カノ(と思っている人)と酒を飲みかわすという状況には、ありえないと思いながらもそれはそれで面白かった。京谷の立場には絶対なりたくはないけれど。

 

最初に違和感があったのは朱里と晶の部屋での会話。友達や同僚、飲み仲間ましてや恋人も必要な人にとっては必要だし、いなくても問題ない人もいる。晶の話を逆に考えると、恋人とうまくいってれば友達にも同僚にも恵まれなくても生きていけるとなってしまう。受け取り方がひねくれているだろうか。自分の感覚的には友達も同僚も恋人も独立したものでありそれぞれをあまり干渉しない。恋人がいないからといって友達を充実させれば満たされるというものではない。恋人の場合は配偶者に昇格?した場合どちらかが亡くなるまで1人にならない生活がある程度保障されるし、家族が増える可能性もある。そういう意味では友達や同僚の方が今を生きるための仲間といった感じで、恋人は将来も見すえた打算的な同士という印象になる。今を生きるだけであれば打算的ではない仲間との生活だけでも十分なのかもしれないが、さみしさの要因は今だけではなく将来を考えたときの漠然とした不安から来るものもあるのではないだろうか。それは友達や同僚では取り除くことは出来ないものだと思う。家に帰った時1人であることにさみしさを感じてしまう人は、友達や同僚だけで満たされることはないだろう。

 

朱里が社会人としての軌道に乗り始めようとした矢先に、秘書への移動により初心者では到底こなせないレベルの仕事を背負わされ、あげく大きな失態をしてしまう様を見て胸が痛かった。それにより去ってしまった彼女を激しく罵る九十九に対し刃向かった晶。「そんならお前も辞めろ」という反撃に対しあっさり降参してしまう。前半にも退職届を出しあぐねる描写があったが、ここが叩きつける場面だろうと期待したのに思いの外簡単に白旗を揚げた。まだ朱里を戻そうとしているのか、同僚たちの手前さらなる軋轢を生みたくなかったのか、いまいち振り上げた拳を下ろした理由が分からなかった。賛同も庇うこともない同僚たち、変わらない社長、変わらない職場環境。もうキレてもいいところだと思うのだが。獣になれないとは恋愛外の部分でも、たとえ追い込まれても刃向えない、刃向わないで決着をつけるということなのだろうか。

 

とはいえラストは恒星と慰め合うかたちでベッドイン。恒星側だけでも解決済みなら分かるが、悪事に手を染め続けることが決まって落ち込んでいるのに人を慰める余裕なんてないだろう。お互いに。獣になれない私たちが若干獣になっちゃったのがこのシチュエーションなのが残念だった。職場兼用住宅だから? あんまり慰め合いから恋愛に発展していくストーリーは好みではない。「ラブかもしれない」だから本当は違うのだろうか。晶が最後に言った「間違った?」が何を指しているのかは分からないが、来週の最終回完走まで予測できないシナリオを期待したい。パワハラや不正をこのままにして物語が終わることはないだろうし。

 

女優・新垣結衣にふれていなかったが、既に総評じみたことを言えば「けもなれ」は彼女でなくてはならなかったと思う。松田龍平もそうだがまわりが感情的な分一歩引いた感じの演技によって、冷静な人でも社会の歪みに落ちてしまう様をうまく表現されている。九十九や松任谷に千春、そして呉羽や朱里のようなタイプは悪く言えばなんとなく自業自得感があるのだが、主人公の2人については他の人々の罪を背負わされている感があり可哀そうに思えてくる。もちろん2人と対比するようなまわりの役の演技との相乗効果もあるのだけど。感情表現を感情的に見せず行うことは難しいと思う。京谷との別れのシーンや朱里との初対峙の場面などは、自分の気持ちをぶつけたいというよりも相手に理解してほしいが上まわっているように感じられた。その分泣くときや怒るときは制御出来ていないことで、いつも怒っているキャラよりも非日常である雰囲気が出る。主人公の感情表現にキャラ設定とのブレがあると、そういった効果も半減してしまう。リーガル・ハイ(あまり見てはいない)や逃げ恥、先日テレビで見た映画ミックス。など感情表現強めの演技ではなく、一貫して抑え目だったことが「けもなれ」そのものの雰囲気も静かでじっくりとした印象にさせている。まわりの演者や起こる出来事もそこそこハードなのに、ドラマ全体のゆったりとした感じを損なわないのは新垣結衣の演技力だと思う。ポッキー持って踊っていたガッキーを思い出すと、さらにその成長ぶりに驚かされる。