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万引き家族 感想①

 

予告を見たのは失敗だった。大筋の話はすべて出ていた。

 

是枝監督の映画は「そして父になる」「海街diary」は映画館で観ている。

どちらの映画も「血の繋がらない家族」がキーポイントになっている。

特に「そして父になる」の方は一緒に過ごしていた息子が他人の子だったことが発覚し、エンディング近くまで心が締め付けられるような思いで観た。

どうすることが正解なのか明確な答えは提示されないまま話は終わる。どちらかと言えばこのあと2つ家族は定期的に交流し、入れ替わった2人の息子が出来るだけ寂しい思いをしないように協力し合っていくのだろう、という感じのハッピーエンド的な終わり方だった。でも何かモヤモヤしたものが残り、それが何かは分からないままだった。

 

今回のパルムドール獲得のニュース。このモヤモヤを払拭したいという思いで映画館へ向かった。公開した週のうちに観た映画なんて記憶にない。それくらい期待値は上がっていた。個人的なハードルが最大級に上がっていたことと予告を見てしまっていたことで、フラットな気持ちで観なかったことが非常に悔やまれる。

 

モヤモヤが消えたわけではないが、その原因は「血の繋がり」への疑問だとは思っている。共同体が結ばれている絆の中に、理屈を超えた生物としての繋がりは「絶対的」な影響を及ぼすものなのか。またそれは大切にすべきことなのか。

 

「万引き家族」ではどちらかと言えば血の繋がり云々など些細なことで、それ以上の絆で繋がった家族の物語だった。現実のニュースがリンクしたかのように物語に出てくる血の繋がっている女の子の家族の方は日常化した虐待で崩壊していた。むしろ血の繋がりこそ悪かのような描かれ方だった。

 

「そして父になる」の母が、血の繋がった息子が段々とかわいらしく思えてきてもう1人の息子に悪いと感じるようになる場面があった。血とは見えない、それでいて抗えない結びつきなんだと感じた。「万引き家族」の駄菓子屋の主人が少年に伝える場面も、血の繋がった兄妹に対しての言葉だったと思う。血を分けた家族を大切にしたい、しなければならないという考えは誰しも自然に、生物的に思うことなのではないだろうか。

 

それなのに血の繋がった家族を傷つける、あるいは傷つけられているのが分かっているのに助けることもしない、そんなニュースが多い。「万引き家族」でも「そして父になる」以上に明確な答えはない。なぜこんなことが起こるのか、なぜ止められないのか。ただ今回の映画で痛烈に感じたことは、弱者にされた人々が超えるべき壁は大きいということ。はたから見ると夫婦共働きで、働ける若者までいる。この世帯でなぜ万引きまでしないといけないのか。単純に言えばみんなで一生懸命働けばいいのではないか。正当な理由があるのなら公共機関を頼るのも手ではないか。

 

それが出来ない理由がある。例えば体が不自由という物理的な理由。過去に酷い仕打ちを受けて社会に出られない精神的理由。そこまでではないが人には頼れない自尊心的な理由。この映画では後に明かされる大きなネタバレになる理由がある。おせっかいが減った日本では強制的に助けられる人もドンドン少なくなり、孤立化した弱者は救いの手を差し伸べられる社会的な強者たちに気付かれることも無くなっていく。バブル崩壊、就職氷河期、ひきこもり、高齢社会、認知症、高速道路の逆走、人種・身体・出生などの差別、晩婚化、高齢出産、不妊治療・・・ネガティブワードの発生とともに前世代よりも明らかに増えてしまった弱者たちは人口減少とともに見えにくくなっていく。

 

弱者同士の結びつきでは救えない、越えられない壁を壊せる世の中になってほしい。あの駄菓子屋の主人の気持ちが広がってほしい。あの少年のように弱者が弱者でなくなることは、ほんの些細なきっかけかもしれないのだから。

 

 

今回観た「万引き家族」ではリリーフランキーのキャラ設定のせいなのか、胸を締め付けられるような感情はあまり湧かなかった。予告にはなかった風俗店でのエピソード、ひざまくらされた彼が言葉を発したところでは急に涙が出た。そこまで締付けられた感覚はなかったのに不意に流れて自分でも驚いた。年のせいで涙腺が弱くなったのか。前兆に気付かずにこぼれたのは初めてだった。あとから考えてみると、万引き家族は助け合って生きている。背景が全く描かれていない風俗店の青年には、私の勝手な想像の中では誰も救いの手を差し伸べる人がいないように見えたからかもしれない。