言い訳をすれば、粗探しが好きなわけではないと前置き。
まずなぜそのままのタイトルにしたのだろうか。「新生児取り違え事件」「鎌倉4姉妹物語」では何かもの足りない。「そして、父になる」「海街diary」の方が見るべき場所を的確に表していて腑に落ちる。「万引き家族」では焦点がぼやけたような、注目はそこじゃないのにといった気持ちになる。肝心の万引きも何かリアリティに欠ける気がした。巧妙過ぎると模倣犯が出るからだろうか。店内でしかも指での指示は店員が見ていなくても客が反応しそうな気がする。自分が偶然見たら追跡して店外で店員と捕まえる。それに反して濡れ描写は自然で必要最小限、絶妙だったと思う。無駄に長いだけの話題性のためのものではなく、性格や関係性を体現していた。前の感想でも触れたけれど、4番さんのところが最も心に残った。
映画はなぜ作られるのだろう。
エンターテイメントとして?プロパガンダとして?
何かを訴える為の手段としての側面は避けられない。幼年向けのアニメでも友情、正義、家族、絆などをテーマにしている。純粋なエンタメのみの映画を作成することは大掛かりなだけに難しいだろう。逆にドキュメンタリーや教材映画でない限り、話の面白さは追及しないといったことも出来ない。
「万引き家族」とは何なのか。話題性が大きいほど評判も目に付く。キャストの演技力が凄い。安倍政権批判か?オチがない。家の中の混沌さに衝撃等々。
注目されるほど的外れな批判にさらされていく。もう少しエンタメよりな物語を楽しむ方向で観れないものかなと思う。せっかく話も演技も演出も濃厚な映画だったのに。
ただ1点あまり気にするという人を聞いたことがないが、自分は作品の統一性をとても気にしてしまう。話題に上がったキャストの演技力。もちろん皆さん素晴らしかったと思う。ただゆりちゃんは演技には見えなかった。ごめんなさい。
「そして、父になる」の琉晴くん、「火垂るの墓」の2人の声にも共通するのだが演技よりもリアルに近い、悪く言うと表現していない。それがいけないことではなく、どうしても他の演者と違って浮いて観える。聴こえる。みんなが同じならドキュメンタリーっぽくなっていいのだが、一部の人でそれも主要キャストでそうだと気になってしまう。古カフェ系ハルさんを見ているときの地元住民の演技のむずがゆさみたいに。
他で例えると漫画のモブ(観客や街を歩く人)などを明らかにアシスタントが描いたクオリティの低い絵。特に漫画は連載作品が多く描き下ろしは稀なので、年代によっても絵柄は変わるし仕方がない部分はあるのだけど、スラムダンクの最終話はなんでという感じ。山王戦で作者も力を使い果たしたのかのような作画で残念だった。クオリティの統一性を保ってもらわないと、急に現実に戻される。
そんな些細なことはどうでもよいと言われそうだけど。
私は映画、小説、漫画やアニメどれもまずストーリーの面白さ、エンタメ部分に重きを置いてほしい。それをまずクリアにしないことにはテーマも訴えたいことも嘘臭く感じる。それなら回りくどく映画にしないで直接言えよと思ってしまう。訴えたいことがあるなら、強烈に心に刻み込みたいなら、なおさら丁寧に作ってほしい。そういう話ほど感情移入出来て入り込みやすい。だからこそ、そんなことで現実に戻されたくない。
上からの意見で申し訳ないが、ミスキャストは監督の責任だと思う。今回の映画はそこまでではないが、琉晴くんのときの起用の決め手は知りたいところ。私の考えでは及ばない理由があるかもしれない。清太と節子の声は調和を無視してインパクトを取ったのだろうと思う。それと同じ効果を期待されたのだろうか。
なんか子役批判みたくなってしまった。