シナリオだけでは描けない渾身の舞い。
前回の感想で「どうする家康」折り返し点での家康の覚醒を期待するようなことを記した。これまでいくつもあった変化のきっかけをことごとく裏切り、いつまでも弱くて泣き虫なままの彼を25話見続けてきた。それをすべて覆すかのような変貌ぶり。しかし単純な怒りの権化となったわけではない。勝頼の首に対しては「死ねば皆仏」と言い一線を越えない。片や信長に対してはこびへつらい忠誠を見せる。
妻子の死と果てのない戦いの世の中への怒りと決意をまさか踊りで感じさせるとは、今年の大河の主役が松潤であったことが必然であったかのような演出に魅了された。出だしで感じていた頼りない主人公やシナリオへの不安感もすべてこの回への伏線。前半と後半の家康は別人かのうような雰囲気。
恨み辛みからくる「信長を殺す」ではない。天下の平和ための初手が信長の排除なのだ。光秀を操るのか秀吉と組むのかは分からない。これから恐怖で統治してきた信長から、人たらしで策士の秀吉との戦いにシフトしていくがこの家康なら渡り合うことが出来るだろう。
ただ最後の茶々との戦いは前半の家康に戻るのかもしれない。彼女を抱いていた優しくて気弱な青年の家康に。信長や秀吉に比べドラマチックではなく、根回しや卑怯なイメージが拭えなかった家康のその行動の根底を描かれたことで、平和への執念の人としての彼の人生の後半を見届けたいという気持ちが強くなった。