気になっているデザイナーがいてたまに情報を得ていたので、このイベントの企画自体は知っていた。予告広告は三原色を用いた派手なデザインでちょっと人を選ぶ感じはあるなと感じていた。ターゲットの狭いイベントなら目に留まる場所を考えながらも前衛的な宣伝もありかと思うけれど、いろんなデザイナーやクリエイターが集い老若男女が往来する場所での企画なら間口は広い方が良いと思うので、万人受けとまではいかなくても大半には不快感を与えない見せ方が望ましい。
蓋を開けてみるとまさかの炎上上等な演出。出品者には周知されていなかったようなので企画側の独断だったみたい。参加されているデザイナーは一緒に見られたらやりきれないだろうな。ある意味全国的な注目は浴びたわけだけど今回は炎上商法というよりか、単なる企画者の感覚不足であったところがパルコ感覚的にお粗末だった。
この手の炎上があると湧いてくるのがフェミニズム批判や風俗批判などの拡大解釈者たち。先日のたわわ論争と同じで風俗業が法律で認められている以上その手の業界への批判は筋違い。どこでやるかが指摘すべきところだろう。今回は子供も見るかもしれないような場所で無料案内所を模したものを置いた店側の問題。女性視点なら1ミリも笑えない企画であることに気づけなかったのは、演出の企画に意見できる立場の人に女性がいなかったのだろうと推測する。
今回のような時代というか空気が読めなくて炎上する企画のニュースはたびたび発信される。あくどいものは確信的に炎上させ宣伝効果を得ているパターンも見られる。それは大いに批判されるべきだけど、この手のものは社会的には必要悪なんだろうなといつも思う。このブログの時事カテでは一番取り上げていること。
インターネットの誕生でなかなか臭い物に蓋をしにくい世の中になった。それでも社会には知らない世界や事情が隠されている。知ろうとしなければ知れないことはまだまだ多い。そんな中で誰かがあるいは組織がやらかしてくれることは社会勉強としては有難いこと。風俗のことや会社組織のこと、批判する人々の考えなど。
今回の事で無料案内所を知識として初めて知った人も多いと思う。特にそんな界隈に足を踏み入れることのない女性たちの中にはけっこういたのではないだろうか。そこそこの大きな組織で人が携わり、検閲があるにも関わらずこんな企画がすり抜ける。まだまだ昭和感覚の人は多いという社会。若い世代では常識的な感覚も、社会には通じない人種がたくさん生きている。
顔色をうかがう、空気を読むことは生きていくうえで大切だ。自分を傷つけないために他人を傷つけないために。ただ寂しい世の中ではある。羽目を外したい、ぶっちゃけたい人はそれを目にしない人たちの内輪でやればいい。無料案内所のパロディが面白いと思える人の中でやればいい。敷居の高いギャラリー的なところなら批判はなかったかもしれない。いずれにしても落としどころの見極めは大事。
全く無関係な話だけど、今回発表のあった芥川賞候補の中に面白そうなテーマの小説があったので読んでみようと思う。別の何かが見出せるかもしれない。