撮り溜めていた全10話を3日間くらいで一気に見た。
近年のドラマでは炎上やフェイクニュースを取り上げることが多くなった。話題性からその題材としている部分はあるだろうが、制作者が世の中への警鐘として伝えたい部分も大きいだろう。インターネットやSNSが一般化してからどれくらいの年月が経過しただろうか。利便性はどんどん向上し特定の人へも全世界へも簡単に自分の思いを発信可能な世の中になった。しかしそこは現実社会と切り離された無法地帯。罪の有無に限らず誰かを誰かが裁く世界。
「間違った情報や解釈を拡散する」という行為が悪であり元凶だとしていてはこの状況はずっと続くだろう。ことの善悪は所詮主観であり真偽もまた100%ではない。問題はその100%ではないことを100%だと思い込んで発信・拡散すること、要するに誰でも気軽に伝えられてしまう状況、整備・制限されていないインターネットの土壌が悪いのである。ましてや精神の幼い未成年や悪意のある大人にこんな楽しい無法アイテムを開放しているところがそもそもの原因だと思う。各々の倫理観だけで制御出来るものと認識されていることが最大の悪である。
とは言っても世の中に車が走り、風俗街があり、法律で守られたギャンブルもある。毎年交通事故で死者が出ても車をなくせとは誰も言わない。必要悪とは少し意味が異なるが、利便性や欲望の前には多少の犠牲は構わないということなのだろう。そのため現実社会で危険をはらむ行為には規制があり許可が必要だ。車の運転には免許も必要だし事故を起こした場合の責任は重い。いまのところSNSには制限や罰則がない。スマホやパソコンで誰でも自由に発信できる。=危険な道具・環境だと認知されていない。中学生に車の運転をさせることは世界的にみても危険行為だろうが、同じと感じられない世の中の感覚こそが技術に追いついていない。
3年A組のような教育はもちろん必要ではある。ただ被害者を出さないということを重視した場合、各個人の倫理観に頼っている現状を変える必要がある。法整備やスマホなどの発信媒体の規制を行わなければならない。本当は各使用者の自制心で健全なSNSライフが保たれることが望ましいがそれは絵空事だろう。自由な発言・表現の自由を保ちたい部分は分かるが、それによってまともな生活すら出来なくなったり死に追い込まれたりする被害はなくさなければならない。
柊一颯は自分が仕込んだフェイク動画等を駆使し、世の中の扇動されやすさや二転三転する責任のない発言をする人たちを炙り出した。生徒や武智のように個人的に糾弾された者はもしかしたら心に響くかもしれない。しかし匿名で発信している者たちには他人事のようにしか捉えてもらえないだろう。
1年くらい前に規模こそいたずらレベルだが似たようなフェイクが出回った。知っている人も多いと思うが「国際信州学院大学」の件である。この大学の教員がある飲食店で大口の予約をドタキャンしたというSNSが拡散された。飲食店を擁護し大学を批判するコメントが多くを占めたが、中には大学を名指しした飲食店への批判をする者などネットでは話題になっていた。しかし実は大学も飲食店も架空であり、巧妙なそれでいてよく見れば嘘だと分かる公式サイトまで用意したフェイクニュースだった。
人は簡単に騙されるし他人を騙そうとする。車で時間を稼ぐことは出来るけれど人を殺すかもしれない。轢き殺そうと思って轢いたわけではないかもしれない。嘘だと気付かずに拡散させたかもしれない。自分の為、あの人の為、世の中の為、正義の為と思って振りかざした刀は誰かが作った毒牙かもしれない。車の事故は故意ではないかもしれない。SNSの発信は発信者の故意である。悪意ではなく善意で人を貶めてしまったら罪はないのだろうか。自由に発言・発信できる社会はすばらしい。そして自由に手軽に人を貶められる社会もすばらしい? 利便性と危険性のバランス。人類は多くの発明をしてきたがここまで危険性を制御できない発明はあっただろうか。技術が追いつかないなら強めの法整備が急務だろう。