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ドライブ・マイ・カー ステップ 映画と小説の感想

「ドライブ・マイ・カー」を映画館で観てきた。前日に日本アカデミー賞をテレビでやっていたので客も多くなるかと思っていたけど、9時開始だったからかたぶん10組くらいだったと思う。年齢層も高く50歳以上に見える男性1人が最も多く、あとは年配夫婦、1組だけ結構お年を召した母娘っぽい組み合わせがあった。自分同様にソロで来ている人以外はあまりあらすじを知らずに観に来ているのだろうか。

 

今回実は原作を読んで挑んでいる。これまで村上春樹に触れる機会がなかったのと、話題の映画が観たかったことで比べてみたくなった。ほぼ同時進行で重松清の「ステップ」も両方観てみた。こちらは原作者の小説は何作か読んだことがある。ネット配信で映画を途中まで観て、小説を読み残りを観た。

 

ハッキリ言って小説のドライブマイカーは短いのでかなり付け足してくるのだろうと思っていた。やはり前後大きく付け足されていて少ない登場人物の設定も変わっていた。タバコのことで実在の町と一悶着あったらしいこの作品は、映画でも冒頭からゴールデンタイムでは流せない行為や言葉が飛び交う。小説版では省かれていた部分。必要だろうかと思いながら見ていたけれど、後半のそれも付け足された1つのクライマックスに見事につながる。劇中劇の中でも語っただけのヤツメウナギの話が最も印象深かった。

 

中身には多く触れないが、単純に面白かったかどうか。個人的には

ステップ(小説)>ドライブマイカー(映画)>ステップ(映画)>ドライブマイカー(小説)

という順になる。小説のドライブマイカーのような書き方のものは個人的には好みの方だ。むしろステップの方はエンターテイメント性がありすぎてさめてしまうタイプ。これが逆転した理由としては、読者の自分が考えつけていない補足の見事さにあった。ステップは父子家庭の話なのだが、保育園や田舎の風習、不妊治療等その親子を取り巻く他の親族の話が秀逸に描かれ二人の成長にうまく作用していく。映画版ドライブマイカーも同じように小説版では描かれていなかった高槻の狂気性や渡利の人間味の部分がむしろ物語の核のように描かれていた。映画版ステップは時間の制約で端折りすぎ、小説版ドライブマイカーは読者の想像に委ねすぎ?

 

映画版ドライブマイカーの凄さは辛うじて感じられたけれど、村上春樹の凄さは短編一作では体感できず。