正直なところ各回その日中には観ている。ただ是が非でもリアルタイムに観なければいけないという高揚感というかソワソワした感じはない。戦国大河では珍しくある意味のめりこまず冷静に観れている。直近の直虎や真田丸のときは、お家存続のために必死な主人公に感情移入していた。しかし光秀にはキャラ設定のせいなのか、長谷川博己の演技のせいなのかどこか俯瞰したように観ている感覚だ。と感想が遅れがちな言い訳をしてみる。道三VS義龍ラスト3話はまとめて記したい。
親子の確執というものも戦国時代では武田信玄をはじめ珍しくはない。跡目争いという私利私欲とは異なり、本来は争う必要のない無益なものである。どちらかが折れれば済む話。なので史実とはいえ理にかなわない無駄な争いに少し胃もたれ気味なのである。そもそもお互いのプライドなのか道三は抽象的なことしか言わないし、義龍もあんたは父にあらずの1点張り。もっと具体的にすり合わすことは出来ないものだろうか。加えて主人公もどっちつかずの動き。領地替えが嫌ならそう義龍に言えばいいのに最後には裏切ったようなかたちになってしまった。
織田家や将軍家のために奔走していたのに肝心の我が国の分裂は防げず。斎藤家とは光秀にとっては人脈づくりの場所だったのか・・・。
序盤の道三は軍事戦略に長け、国を守るためなら非道なこともためらわないキレ者イメージで評判になった。しかし信長が絡みだしてから狂い始めた。聖徳寺の会見では娘の帰蝶に見透かされ、信長にも言いくるめられる始末。信長を甘く見るなと太鼓判を押してから、実際に戦に勝ったときの勝ち誇った表情や言動にはもはやカリスマ性はなかった。息子たちにおいてはお互いの信頼は培われることもなく殺し合うことになった。
最期は非現実的な大将同士の一騎打ちにて果てる。もっくんの熱演が麒麟がくる序盤の盛り上がりを作ったと言えるが、結局斎藤道三とはなんだったのかしっくりきたものはなかった。のし上がる才覚はあるが家臣からの信頼は得られず、信長へのアシストだけ決めて散ったマムシ。彼がいなければ日本の様相が全く異なっていたことだけは間違いない。