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麒麟がくる 第九回 感想 信長兄弟と煕子

これまでの「麒麟がくる」にはそれなりの世渡り上手たちのせめぎ合いや化かし合いが描かれてきた。今回は打って変わっていわゆる「空気が読めない」天然な方々ばかりが登場。世を変えるのはこういう力が必要という解釈なのだろうか。筆頭は前回庶民派な顔を見せていた織田信長。祝言に現れなかったことを帰蝶に詫び、2人で信秀へ挨拶に向かう。道三からは立派な松が届く中、信長が用意したものとは。

 

時代考証を1歩進めたらしい立てひざの土田御前と帰蝶。この時代でも流石に祝いの席に御首級を持ってくるのはキツいだろう。しかも対今川への備えはまだ不十分な状況なのに相手をけしかけるような行為。いろんな意味で空気を読めていない。それなのに信秀をただ喜ばせたかったと憤慨。庶民目線でいえば最も大将にはなってほしくないタイプだ。そして子供心を読めていない信勝(信行)や子供に気を使い過ぎの煕子。一見合理主義な光秀とは最も合わなさそうに感じるが実際そうでもないのだろうか。

 

どこか極端なキャラクターが一気に出てきた印象。ただ三人に共通するのは乱世の中にあってかなり恵まれた環境に育ってきたことだろう。ある程度の理不尽を体験し、世間の荒波にもまれれば適応力のある人格に育つというのは安易だが、どんな天才も才能を活かすには経験という種か肥料かが必要だろう。そう思うと秀吉や家康のような生い立ちは偶然ではなく必然だったのかもしれない。未来を知っている我々はどうとでも解釈出来る。初めに天下統一の土台を作った信長が1番走者だったから成しえたバトンだったとも考えられる。それに対して光秀は1番走者の暴走を止めたかっただけなのか、2番走者になろうとしたのか。

 

今年の大河は五輪のため全44回と少ない予定。次回で早くも10話目になるが、子供時代がなかった割には歴史上の大きな出来事はまだ起きておらずあまり変わっていない。信秀の死去により大きく動き出し始めるがお父ちゃんが予想以上にしぶといw