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半分、青い。感想⑥ 見たくないけど見る?

 

小説、漫画、TVドラマ、映画、ゲーム等の物語に入り込める幸せ。誰かが想像し創造した世界の中で驚かされ、感動させられる幸せ。1度しかない人生で、こちらは大きな手間を掛けずして何度も入ることが出来る手軽さ。人間が発明したことの中でも最大級に素晴らしいことではないかとさえ思う。ただ製作する側は大変である。飽きる生物である人間は常に新しいものを求める。どんなに素晴らしい作品を作っても同じものを毎日見られる人間はいない。それでいて各々が面白さを感じるポイントも異なるため万人が面白いと思える物語は作れない。もちろんターゲット層による印象の違いもあるし、見ている側は個々さまざまな人生を歩んでいるのだから全て同じ価値観であるはずもない。それでも多くの支持を得たり批判の的にされたりしてしまう作品は出てくるのだが、個人的にはだいたい共感したり理解出来ることは多い。だが今回の「半分、青い。」の批判の数々にはほとんど理解が追いつかない。

 

物語を面白いと思う要因とはなんだろう。

これに答えがあれば逆にエンターテインメントとしての物語は世の中に登場はしなかったと思う。答えがないからこそこれだけたくさんのコンテンツがあり、数々の作品が生まれてくることが出来たのだと思う。その中でも過去の傑作、名作と呼ばれるものに法則性は存在するのだろうか。いやそこを見出したいわけではない。極論から言えば面白い面白くないは、美味しい不味いと同じで好みの違いということも要素に含まれる。今回気になったのは否定派の意見に理解が追いつかない、しかもそれが多数派っぽいということだ。自分の面白さの判断は間違っているのかと思ってしまうくらいに。ただ一部分のことで全否定的な意見には全く賛同出来ない。

 

例えば「震災の扱い方が不謹慎、人が亡くなりすぎで見る気がなくなる」は一切の共感が出来ない。40年を半年で描くのに誰も死なず何も起きない方が不自然。扱い方に配慮がないと指摘するならば殺人事件、いじめ、DV、虐待等の被害者や苦しみを背負っている遺族が1人でも存在する出来事はすべて扱ってはいけないことになる。東日本大震災は7年前だが、昨日殺された人もいるかもしれない。大勢の人が被災したことへの配慮も1人の人間への配慮も同じく必要だと思う。揚げ足を取るようだが7年経っている出来事を、被災している場面を描写せず取り扱った作品を批判しながら、刑事ドラマや医療ドラマを面白いと評価している人の感覚の方が分からない。当事者だから腹が立つが、体験したことのない事件はドラマにしてもOK?震災が大規模で滅多に起きないことだからダメ?普段のニュースで取り扱われる事件や事故にも被害者はいる。日常だからドラマの殺人や病気は取り上げてもいいという理屈にはならない。震災への取り扱いを批判する人は、さまざまなドラマや映画で取り扱われている事件や事故なら凄惨な場面を描写してもよい理屈を教えてほしい。最大限の配慮は何事にも必要だけど、すべての人が悲しまない描写は不可能である。ユーコをあえて仙台に嫁がせたという批判も可能性であれば全くもって不自然ではない。むしろ他県から移り住んだタイミングで被災された人たちはたくさんおられたと思うので、それが登場人物の中にいることは不自然ではない。あの描写での震災に配慮がないのであれば、殺人事件の被害者に配慮して刑事ドラマは見ないでほしい。震災で亡くなった人も事件で命を落とした人も配慮するべきは同じ。これに異論がないならば。

 

鈴愛に共感出来ないにも全く共感出来ない。夢をあきらめずにずっと追いかける!初志貫徹!私の考えは間違っていないかみんなの意見を尊重して、常に慎重に行動しよう!こどもか!!自分の力に限界を感じたり、思いのままに行動したり、恩ある仲間に暴言吐いたり、親に頼ったり普通躊躇するようなことをやってしまう鈴愛に羨ましいと思えるところは全くないのか。そんな完璧な人生をあなたは歩んでいるのか。批判者の多くが批判した神回予告の3回目、78話は個人的にも神回だった。以前にも書いたが、鈴愛の暴言を書き起こしても名言は現れない。あのシナリオに永野芽郁の演技が合わさって完成する。限界状態での魂の叫びに、長い間考えてひねり出したような名言は当てはまらない。それに対してのボクテやユーコ、秋風先生の返しの演技など見どころや面白さは十分にあったと思うのだが。確かに漫画家編が最も面白かったという意見にはうなずけるところだけど、その後が全く面白くないというのもよくわからない。

 

 予定調和な物語の方が気楽に見られる?展開が目まぐるしいのはついていけない?それは好みの問題であり、物語を面白くないと結論づけられる要素ではない。奇をてらったり初めてのことをするだけで凄いとも思わないし、王道的な展開もダメだとは思わない。朝ドラには合わない?ならそれだけのこと。朝ドラに合わなかったから面白い部分は全くなかったのだろうか。片耳が聞えない影響がないとか、なんで最後が扇風機とか、伏線の回収が曖昧だとか、ささいなことだー!片耳のハンデのことを常に出されたらその話になってしまう。失聴については大変だし、歌がうたえなかったりバランスが取れなかったりいろんな支障をきたすが、鈴愛はそれを表に出さない。歌が苦手を匂わすけれど、ユーコとユーメイドリームは熱唱するのが鈴愛なのだ。挙げだしたらキリがないくらいに細かい設定が散りばめられている。この物語を全否定などは絶対に出来ないと思うのだが。

 

 もちろん個人的な希望としてこうだったらなと思うところもあった。例えば涼ちゃんが家族よりも監督業を取ったところ。夢をあきらめていたのに再び家族を捨ててまでそれを目指すことにした理由。着火点がいまいち分からなかった。のちに死んでくれとまで言われる所業の決意の重さのわけを感じたかった。律の家族に対する愛情も、普段見られる律の性格からすると少し冷たいギャップを感じた。いくら嫁への接し方が分からないといっても、息子の為を思えばもう少し頑張ってほしかった。もちろん他にも?なところはあるのだが、物語全体の面白さに影響を及ぼすほどのものはなかった。

 

 批判に対して批判覚悟で言えば、黒か白かで判断を下したらどちらかに徹底的に肩入れしたいのだと思う。それはもう盲目的に。「半分、青い。」を見て朝ドラだから仕方なく見ているが面白くないと言う。そのあと誰かに感想文の提出しなければいけないのだろうか?朝ドラは時計だから。他のチャンネルも時計出とるわい!会社の昼休みや病院の待ち時間はスマホいじっとけ!面白くないけど見て批判をする。半年間も。信じられん。面白くない映画を見てしまったとか1クールのドラマでハズレだったなら十分わかる。毎日半年何故ガマンする?面白くないけど見続けたった自慢はいらん。気持ち悪い。NHKの受信料払っても視聴は義務ではない。金払ってるから嫌でも見るってもう全く分からん。金払ってんならせめて苦痛は取り除いたら?

 

朝はお姑さんと朝ドラを見るのが習慣で拒否出来ず、嘘の面白かった感想を言いあったストレスのはけ口なんだろうか。もう他に見たくないものを見続けないといけないシチュエーションが思い浮かばない。会社の昼休み「わろてんか」のときは離脱者が多く、みんなスマホをいじり出したので「半分、青い。」が開始するまではヒルナンデスだった。拷問かのような感想を述べながら半年間、2,340分見続けることに拒否権がないってどういうこと?監視員がいるのか?耳栓して寝るか本読むかしろ!

 

「見ない方法がない」ってえらそうな感想が最も解せない。面白い物語を見続けることは幸せだが、面白くない物語を見続けることは苦行だ。面白くない物語を見続けるくらいなら、どんな理由があっても他のことをするかやめる。面白くなかった部分の指摘は自分もよくやる。だけど一部のことだけで全否定する手軽さと、苦痛だけど見てるという余計な一言を入れながら、延々と文句だけ綴っていく奴らが胸くそ悪い。嫌なら見るなと言われても仕方ないと思うのだが。ようやく最終回とか、誰もあなたに見てくれと頼んでいない。時間がもったいない。面白くないなら早々に見切りをつけて楽しい物語に費やそうぜ。