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物語の感想やニュースの意見等々を更新しています

半分、青い。感想⑤ 賛否両論?

 

昨今ドラマや映画などを見ると、SNSやネットニュースの発達でほぼリアルタイムで批評や感想が一斉に世界中へ発信されるようになった。近年で印象深かったのは真田丸。賛辞のツイートが一斉に送信されていた。「決まっているだろう、真田丸よ!」からのオープニングへの盛り上がりなどは一体感が凄かった。逆につくりが残念だったり支持の少なかったドラマではあまり盛り上がらず、批判が目につくことも少ない。今回の朝ドラのある意味他を圧倒していたのは批判の盛り上がりではないだろうか。ネットニュースのコメント欄などはバッシングの嵐。ほとんどダメ出しの文章が並んでいる。それなのにニュースタイトルは「感動の嵐!スピンオフ希望!」真逆の感想に笑ってしまう。

 

批判もニュースもすべてを代弁しているはずはないし、少数派を多数派に見せられることもよくある。アンチな意見やアンチを批判する意見など、発信者はどちらかというと支持していない側への否定的な意見の方が熱量があることが多い。私もこのブログなどで作品に対しての意見は述べるが、基本的には良いと思った作品についてだけ。その中のこうしていたらもっと良くなるのではないかと思ったことを綴ることがほとんど。わざわざ面白くなかった作品の批判なんて残したくもないし発信もしたくない。というかだいたいドラマなら途中で挫折して観なくなる。今回「半分、青い。」がアンチともども視聴者を離さなかった理由はなんだったのだろうか。

 

個人的に「半分、青い。」の驚きだった点は主人公が諦めるところだ。律との関係も深入りはせず、漫画は能力の限界を受け入れ、離婚のときも相手の拒絶を受け入れた。架空の物語の主人公は最初から目標があってその達成のために苦難を乗り越えるものだ。心の設定のことではなく物理的な能力設定として乗り越えられる能力を有したキャラクターが主人公に当てられる。しかし鈴愛は秋風羽織と同じ能力は持っていない。人気漫画や納得出来る漫画を描くことが出来なくなる。惜しいなと思ったのは「何かを発明する」という前情報すら隠してほしかった。それだと漫画を諦めたインパクトはもっと大きかったと思う。最終回でこばやんが登場し初志貫徹と伝えたのは対比として良かったと思う。

 

作品への批判の多くは鈴愛に感情移入できない、自己中心的と言ったことだ。鈴愛のキャラ設定としては確かに数々の苦難に見舞われながら、大泣きしながら、諦めながらも前進だけは止めないちょっと痛い感じの女ではある。カンちゃんのイジメ対応も大雑把だし、病気の親をよく頼る。これまた対比で同時期に評価が高かった「義母と娘のブルース」の主人公亜希子は納得できる解決策で子供を助け、親には頼らない等主人公とは真逆である。トップセールスウーマンという能力を持ちながらも仕事を変えた理由も、能力の限界ではなく子供のためだった。鈴愛とは異なりキャラクターへの世間の評判はとてもよかった。

 

物語の良し悪しは私の個人的な見解として、主人公への感情移入の度合いや行動の心地よさでは決まらない。朝ドラは他のドラマよりも主人公には清廉潔白さや理路整然さが求められる部分があると思う。でも人間の行動として多数派からおかしいと思われても行動したいこともある。鈴愛は自分の判断の整合性をあまり慎重に考えないけれど、それを信じる能力が非常に高いキャラなのだと思う。だから行動力は高いが共感を得られにくい。こんなキャラが物語上で動いた時に巻き起こる出来事が、むしろその整合性のない考えに対しての物語の整合性があってれば面白いドラマが出来上がるのだと思う。

 

いつも正論を言えたり正しい判断が出来る主人公。表向きはバカなのだが勘では正解を導き出している主人公。あえてこれらを選ばない時点で少数派の物語なのだが、その主人公が一生懸命なのに夢は叶わない。好きな人に好きと言えない。観ていても心地はよくない。でもその途中途中に見られる言動や行動は、夢が叶わない苛立ち等を見事に表現していたと思う。感情移入が出来ないと言うけれど、夢や目標があった人の大多数が大なり小なりの挫折を経験しているはず。頑張ったけれど、能力はなかったけれど、判断は間違っていたけれど。世の中のほとんどの人は鈴愛だと思う。本来の設定としては最も感情移入してしまうキャラクターのはず。この物語の辛さや批判は自分自身のことではないかと思う。だから見たくないけど目が離せない。

アンチの人には全力で全否定されそうw

 

 

ただお友達になるなら羽根より軽い鈴愛よりも、誠実な亜希子さんの方がいい。