秀吉の強さをいくら説明しても秀吉憎しの家臣団には伝わらなかった。数正出奔の理由としては想像以上に説得力があった。もしこの全体像が本当だったとしたら、家康を思い止まらせた数正のファインプレーといえる。豊臣家と徳川家の運命は関ヶ原でも大坂の陣でもなく数正の決断こそが最大のキーポイントだった。
戦の勝ち負けで命運が決まることは特に戦国時代多かったと言えるが、戦以外の誰かの行動によってその後の道筋が変わっていたという最たるもの。戦を挑めば恐らく徳川家は滅ぼされていただろうし、その後の秀吉を考えれば戦乱の世を治められたとは考えにくい。大げさに言えば戦国を終わらせた陰に数正ありといったところか。
小牧長久手のような派手さはなかったが一人の武将の生き様の物語として感服せざるをえなかった。名を残したがるこの時代に生きた人間として、裏切り者として伝わるリスクをかえりみずお家のため決断した彼の功績は計り知れない。・・・真実は本人しか分からないけれど。