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俵太の達者でござる

 

新型コロナの影響で収録が減ったためなのか伝説の番組の傑作選が放送され始めた。

 

そう、めっちゃ懐かしい番組「俵太の達者でござる」だ。

えっ、知らない?初めて聞いた!?嘘だろう!世紀をまたいで10年以上ゴールデンタイムで毎週放送されていたあの番組を知らないなんて。

 

地元民には出身県がバレました。福井テレビで放送していたローカル街ぶら番組です。越前屋俵太扮する越前・若狭見回り奉行「越前屋俵之介」がお侍の格好で突然現れて各地域の一般人とふれあい、去っていく30分バラエティ。

 

80年代半ばに福井テレビもローカルバラエティに力を入れはじめ、スタジオ収録のクイズ番組を金曜の19時に放送していた。売れ始めのタレントを司会に据えて始まったどの番組も1~2年で終わりなかなか定着するものはなかった。そんな中で突如暴挙ともいえるような上記内容のよくわからんロケ番組が1993年に始まる。開始時の自分の年齢の記憶が曖昧だったけれど、調べてみたら高校生だったことが分かる。もっと幼い頃だと思っていた。ということはリアルタイムで見ていたのは実質2年もなかったことに驚く。お奉行様は私に強烈なインパクトをあたえていた。

 

全国的にはスタジオ収録の「SHOW by ショーバイ」や「マジカル頭脳パワー」などのクイズ番組全盛期で、バラエティではとんねるず・ウンナン・ダウンタウンなどの当時では前衛的なお笑い企画番組が流行りはじめていた。旅番組はあったかもしれないけれど街ぶら番組なんて皆無だった。はじめて見る適当感が否めないゆる過ぎる番組に戸惑いながらも、何か今までのバラエティ番組にはない新鮮さを感じながらなんとなく見ていた。

 

その頃学校でもそれほど話題にはなっていなかった。心を奪われたのはじいちゃんばあちゃんたちだ。お奉行様は福井のお年寄りのアイドル的な存在になった。今は亡き母方の祖母とよく見ていた記憶がある。今思えば祖母と私は同じ番組を見ながら、異なることを楽しんでいたんだと思う。お奉行様は現地のお年寄りとよく絡む。同じ地域に住む祖母と同年代のお年寄りの生活にズケズケと入りこんで困惑させながらも、素人である彼らへの敬意も忘れず面白おかしく紹介していく。そんな地域濃厚接触型番組は祖母の年代には無意識に待ち望んでいたテレビ番組だったのだろう。私的にはあらかじめ決められていない笑い、それでいてワザと引き出させようとしているわけでもない設定が気持ちよかった。演者が筋書きをもって挑むと予定調和な感じが出たり、面白いだろう感が出て引いてしまう。というよりも達者でござるの場合、俵太自身はちょいちょいウケを狙ってはくるが素人にそれを求めているわけではない。偶然の笑いを待っているだけだ。越前屋俵太は9割くらいお奉行様のテイで進行していく。たまに対処しきれない素人が現れた場合は素が出るがほぼ越前屋俵之介を演じている。今では数ある街ぶら番組でも別人格を演じているものは見たことはない。それが良いとか悪いとかではないのだが、それに合わせてくる人とあくまで越前屋俵太として接してくる人とに分かれるところも面白かった。

 

正直なところまわりの同年代、その頃中高生だった人にこの番組のことを聞いてもあまり評判は良くない。なんなら俵太のお奉行口調がサブかったとか、何が面白いのか分からなかったとかがほとんど。私は大げさではなく福井の田舎に生まれて達者でござるをリアルタイムで見れたことが財産だと思っている。当時はそこまで思っていなかったが、あらためて考えると最先端の番組でありながら未だにこれを超える街ぶら番組はないと断言する。その後全国的には地井武男の「ちい散歩」が火を付けたのではないだろうか。関西では「せのぶら」とかがあったが原型はちい散歩で出来上がり、各局で制作されるようになる。NHKの「鶴瓶の家族に乾杯」は達者でござるを参考にしたらしい。「ブラタモリ」は歴史や地理に特化した派生型といえる。民放でも「笑ってこらえて」はロケの中心がタレントではないが達者でござるに近い。「ごぶごぶ」や「ぐっさん家」のような地域限定型、グルメ系や電車ものなど今ではたくさんあるが現在の到達点の1つを挙げれば「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」だろう。

 

街ぶらと出川哲朗の相性が良かった理由は達者でござるに通じる。まわるタレントの狙いが当たってなくてやらせ感がないところが最大の共通点だ。出川は狙いが当たらないが本人の無自覚の発言が笑いを生み出す。俵太はお年寄りの相手をしていても誰ウケなのか分からない空気を読まないアドリブで突き進む。自分の狙いが当たらない人と当てに行かない人にとってやらせはむしろ邪魔なのだ。私はバラエティにやらせがあっても問題ないと思っている。コントや漫才なんて広義ではやらせだ。シナリオで笑わせることは悪でもなんでもない。ただしシナリオがないテイの番組の裏にシナリオがあった場合には余程巧妙にしないとやらせ感がにじみ出てしらけてしまう。ご長寿クイズのように作家つきと思って見るかのような突き抜けたコーナーも存在したけれどw

 

伝説の始まりの第一回を見たが、村人への第一声が「おじじ殿はどなたの孫ですかな?」「は?」だ。視聴者も「は?」だろう。最初から飛ばしている。でも変わったものや歴史的に貴重なものなどがあるとお奉行様はとことん尋ねる。重要文化財から地元料理から学生の自由研究から、知りたいこと分からないことはとことん聞く。たとえ相手が無愛想でもお構いなし。見ているこちらがハラハラするような状況なのにそのまま放送しているw なんというか悪く言えば編集が粗い。でもこの無添加な感じこそがこの番組の真骨頂。現在の番組がどれだけ演出されているのかがよくわかる。

 

そして30年経ったことでこの番組に新たな価値が加わった。まだインターネットもなくイオンもない時代。そして福井にはいまだにイオンはないけれど、あのころの風景が蘇る。各地域の地元民が見ればその変貌に驚くだろう。東尋坊はあまり変わっていないけれど、細部まで知っている生まれ育った町ならばその変化に涙するかもしれない。予告を見てみると私の地元もあった。今から楽しみだ。

 

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