「成瀬は天下を取りにいく」という作品を認知し読んでから2年強。文芸界隈の席巻にとどまらず、漫画化や地域イベントへと広がっている。
作品の求心力は読んだときに感じられたが、出版社の広告の力の入れ具合に始まり、各書店へ波及したその熱量が本屋大賞へと導く。このネット上だけに収まらなかった一体感とはなんだったのか、それが何故生まれたのかを考えてみたい。
初動の新潮社の動きが他作品とは異なる。デビュー作の帯に何故あれだけの推しコメントを集められたのか。これは完全に出版社サイドがいけると踏んだに違いない。どうやって拡販するのかを練り、様子見はせずに最大風力で発売させている。
この初動がなかったとしてもおそらく口コミやSNSで面白さは拡散していったと思う。しかしこの新潮社の最初の動きがなければ、現時点でのシリーズ累計140万部には至ってなかったと思われる。社内に確かな目利きがいたということなのだろう。
世の中に面白い小説は数あれど、短期間で拡散された理由は何だったのか。それが持続した理由は何故か考察していく。
ざっくりと感じている理由は以下。
①作品の面白さが小説好きだけをターゲットにしていない。
②小難しくも説教くさくもなく、敵を作りにくい設定。
③しかし万人受けではないニッチな視点で読者を満足させる。
④表紙もタイトルも万人受けを狙わす印象重視。
⑤著者も異端。
もちろん大ヒットの要因の核として文章のうまさが挙げられる。成瀬を読んだときに一番感じたことは「読みやすい」だった。文章力なのか小難しさを極力排除したのか技術的なことは分からないが、とにかく面白さも相まって手が止まらない、疲れない。これが小説好きだけにとどまらない層への浸透、そして離脱率の低さを作っている。
そして年齢層へのアプローチも凄い。言い方は良くないかもしれないが遅咲きだったことが功を奏している。勘違いをさせたくないが年を取っているだけではこの文章は書けない。各世代や性別を良い意味で無視した知識のアウトプットが各所でアクセントとなっている。
たとえば成瀬を世に知らしめた1話目の「ありがとう西武大津店」だけでもテレビとSNSを上手く組み込んでいる。平和堂や西川貴教といった具体的なローカルスターを登場させることにより地元民には愛着、それ以外には変な好奇心を植え付ける。最初に絶妙だと思ったのは島崎の母親の想定される年齢。「あかりちゃんってほんとウケる」は50代には下に、島﨑自身の年齢から30代には上に想像出来る。
他の話でもいくつもの各者にささるワードが散りばめられている。おまけを含む今回の文庫だけでも、みうらじゅん、ライオンズの選手、ソーシャルディスタンス、Twitter、ミルクボーイ、うみのこ、ストⅡのベガ等々 著者の年齢性別地域に関係ない守備範囲とマニアックにいかないサラッとした使用に好感がもてる。
年齢性別を超える共感を得るために成瀬のキャラ設定も上手かった。今のところその理由は明かされていないが、スマホを持たず現代知識に興味はないが年齢不詳の昔のことは知っている不思議な中学生。次作では大学生になり、少しだけ現実社会よりも未来の話になったりする。時系列が行ったり来たりするのも面白い。
読みやすさで多くの読者を取り込み、物語の世界に入ってからは各属性に響く情報が散りばめられていて心を捕らえるというロジック。しかしタイトルとビジュアルはあえて万人受けを外しているところも面白い。
私の周りでもいくら薦めても読まない人がいる。明らかに書名と見た目でさけている。特に普段よく小説を読む人にその傾向が見られる。マンガ感、ライトノベル感があるのだろう。実際この作品は軽い。ただし上質に軽い。それこそ漫画を読むような感覚で読み進められるが、それでいて文章や視点に唸らされるお得作品なのである。
このような作品を生み出せたのは著者の特異な能力なのだろうと思う。表現するのも難しいしおこがましいのだが究極の平民視点だと思う。著者自身が京都大学に通いながら同世代の活躍を横目に一旦就職し小説家を志すも断念。結婚出産を経てコロナがやってくる。
コロナがあって良かったことはリモートワーク技術が上がり、みんなの抵抗感も下がったことくらいだと思っていた。ところが我々が知らないところで成瀬あかりというキャラクターを生成していた宮島未奈の覚醒という奇跡が起こっていた。
遅咲きという失礼なワードを使ったが、社会人・結婚・出産を経験していることが著者の知識の広さにも表れているし、何よりその知識の使い方が自然過ぎて作品自体には重さを感じない。悪く言えば気付かない読者も多いと思う。でもそれは彼女が意図的にやっていると考える。たとえば現代の小中学校のリアリティなんて、身近に通っている子の気持ちを感じている人と感じた経験がない人とでは表現が変わってくるはずである。でもあまりにもリアル過ぎると重くなってしまう。
その時の年齢であった著者が「コロナの流行」と「西武大津店の閉店」という経験を新たに得ることによって能力が開花したのは、タイミングこそ偶然だが掛け合わされて成瀬が誕生することは必然であったと思う。コロナがなかったとしても、形やキャラクターは別のものになっていたとしても、多くの属性の人たちに感動を与える作品を生み出していたのは間違いない。