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東京オリンピック ついに1週間前

人を平気で傷つけられる才能。己の知的好奇心を満たすだけのために、他者の心は都合よく別次元に葬られる。イジメまでいかなくても軽犯罪や不倫などの行いは「若気の至り」「芸の肥やし」などという言葉によって肯定されてきた。残念ながらその側面があることは否定は出来ない。品行方正なダウンタウン、真面目な尾崎豊、物分かりのいい辰吉丈一郎だったらカリスマにはならなかっただろうし、その作品も生まれてこなかっただろう。ただ思うのは弱者に向けてしまった刃を、さらには大人になって武勇伝のように公に語るのは更生の余地なしと判断されても仕方がないかと思う。作品に罪はないし、過去のましてや子供のときの悪道の過度な掘り起しもいかがなものかとも感じるとろはあるけれど。

 

2020東京オリンピックは呪われているかのようだ。予算偽造の競技場のデザインで勝ち取ったオリンピックは予測不能の困難の連続だった。エンブレムの模倣や建設費の増大、大臣幹部の失言、開催会場の変更、そしてコロナ。最後に(最後じゃないかもしれないが)どえらい爆弾を投下してきた。バリバリのフリッパーズ・ギター世代だけど私の特殊な音楽遍歴には全く入りこんではこなかった。まわりでもあまり聴いている人を耳にしなかったし、田舎者には馴染まない音楽だったのだろうと思っている。小沢健二の歌声などはさすがに分かるが、コーネリアスが何なのかはさっぱり知らない。なんとなくアングラ思考なイメージがあったが、世界規模でメジャーなイベントに絡んだとたんに過去の悪事が噴出してしまうところがある意味凄い。

 

過ちを犯した人が通常の社会に戻れないことはあってはならない。しかしそれ以上に罪の上塗りのようなことには厳罰が必要だと思う。今回の出来事がそれにあたるかは時間が経ち過ぎていて分からないけれど、つくづく日本政府のリサーチ力の無さに呆れてしまう。彼の20~30年前の発言に対して今罰を与えることは厳しい気がするが、どちらかといえば障がい者も参加する大会の音楽を彼に依頼することで、現在の障がい者が目にする可能性の少なかった不快な発言を目の当たりにさせられるきっかけを作った政府を残念に思う。これくらいの人選で簡単に批判される人に決められる日本はいろいろと大丈夫なのかと思ってしまう。危機管理能力ある?

 

それとも逆に過ちを犯しても活躍出来るという証明?分かりやすくふさわしくない人をはめることが狙い?過去にいろいろやらかしている人に自信を持たすためのオリンピック・パラリンピックなのだろうか。純粋にアスリートだけ目立てばいいんだけど。