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志村けん

1980年代に小学生だった私にとって既にテレビの主役は「志村けん」だった。荒井注のいるドリフターズは知らないし、欽ちゃんは歌合戦や欽ドンでもイジりの天才ではあったがその頃の学校の話題の中心は志村けん。物心がついて初めて認識したお笑い界のスターだったと思う。小学校高学年になるとひょうきん族、中学生になるとダウンタウンやとんねるずに変わっていく。だいじょぶだぁのレギュラー放送とバカ殿をコンスタントにやっていた頃が全盛期という印象で1990年代や2000年代の初めころにはあまり目にすることもなくなっていた。それが今ではいつの間にかさまざまな番組で見られる頻度も増え、まるで不死鳥のような活躍だった。

 

これまで現れたお笑い界のカリスマたちは若い頃はみんなギラついていた。たけしもさんまもダウンタウンも、とんねるずやウンナンに天然素材・ロンドンブーツもほぼもれなく。もちろん最後は穏やかなおじいちゃんキャラになった志村けんも若かりし頃のトガり具合ははっきりとにじみ出ていた。誰もが日本中を笑わせてやるといった感じだった。今の時代ではテレビで流せないようなコントもあったが良くも悪くも世間は寛容にお笑いを楽しんでいた。彼らは他より秀でるために常にギリギリを攻めていた。最も思い浮かべるのはリアルタイムではないがコント55号の野球拳だろう。日曜昼間のスーパージョッキーやゴールデンタイムのひょうきん族やごっつ。とんねるずもかなりヤバかった。保毛尾田保毛男よりキャシー塚本の方がヤバいか。パイマンは当時でも放送禁止レベルだったw

 

お笑いの根源は差別だと思う。以前にもふれたけれど健全な世の中とは、差別とは何かを認識したうえで差別しない状態だ。衛生的すぎる世の中でいきなり悪意の差別を目の当たりにすると致命傷を受ける確率が上がってしまう。子供の段階で志村けんによって下ネタやパワハラを見せつけられた我らは免疫がついた。おっぱいやハゲづらを見て本物を見てもうろたえずに済んだ。テレビに触発されたいじめというのも少なからずあったとは思う。けれど目に見えない救われた人たちがたくさんいたのも事実だろう。無菌室で育てられて社会に放たれたら本当は死んでいた人は想像でしかないがたくさんいたはずだ。もちろん志村けん自身はそのためにお笑いを作っていたわけではないだろうけれど。ただひたすらに世間を笑わせてやろうとした結果だ。

 

そういえば志村けんを失ってしまったお笑いにそのポジションの人がいない。小学生くらいが笑えて毒がある芸人。ダウンタウンやとんねるずが台頭してからは若者をターゲットにした芸人ばかりが増え、子供やファミリー層など万人受けの芸人がいない。誰かいるだろうか思いつかない。志村けんを失ったことは抽象的な損失ではなく、物理的に日本の将来の担い手たちの精神力を低下させることにつながってしまう恐れがある。子供のころにYouTubeで個別にお笑いを見ても、話題として共有しなければそれこそいじめや差別の材料になりかねない。他人にアウトプットすることで、これはあくまでも面白い芸であり日常とは違うことを認識できる。志村けん亡きあと子供たちに世間の親やPTAを敵に回してもギリギリの笑いを提供してくれるカリスマは現れるだろうか。

 

志村けんの驚きはわが娘をも虜にしてしまったことだ。小学生だった娘はひーちゃんが大好きだった。さらには志村動物園でムツゴロウにもなってしまった。お笑いにギラついていたカリスマが情操教育的な番組までやっている。21世紀になって私の中で過去の人になりかけていたはずが、また子供世代を巻き込んで精力的にテレビに出ている。まさか自分の子供が志村けんを観て笑っている未来は想像できなかった。見た目は老けたけれど、コンプライアンスが強くなった世の中でもギリギリを攻めて頑張っていた。なんなら朝ドラも楽しみにしていた。柄本明が絶賛したという演技力を堪能したかった。

 

小池百合子の志村けんの死が最後の功績だという発言の揚げ足を取ってる暇があったら、ここで日本国民協力して他の国との違いを見せつけてバカ殿を本当に伝説にしよう。もう彼に会えないなら、笑わせてもらえないなら、志村けんここにありっていうことを世界中に知らしめてやろうぜ。しばらくまとめ買いも酒場もキャバクラも控えて、治まったらバカ殿に涙しながらバカ騒ぎしようぜ。コロナに負けた志村けんじゃなくて、コロナを負かした志村けんにさせたいんだ。すべての世代がお世話になっただろう。元気玉じゃないけど、遅いけれど恩返しにみんなで濃厚接触を控えろ!!

 

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