Quinoss.com

物語の感想やニュースの意見等々を更新しています

令和を迎えるにあたって

人生2度目の元号の変わり目。30年前はどうだったかなんて思い出してしまう。中学生だったので世の中のことなんて知ってるようで何も知らなかった。

 

昭和64年の7日間は昭和天皇の容体の速報が何度も流れ、緊迫した雰囲気だったことは覚えている。崩御されてからももちろんテレビ放送の内容は重いものだった。元号が変わると言うよりも天皇陛下が崩御され、皇太子殿下が新天皇に即位されたということの方が記憶に残っている。小渕官房長官の「新しい元号は平成であります」もこれまで何度も映像を見ているためにその時の心情は既に思い出すことは出来ない。今回は陛下が生前退位のため改元は祝賀ムードになり、令和元年は明るい雰囲気でスタート出来るのは良いことだと思う。

 

今と比較してこの頃にインターネットがあったら人生どうなってただろうと思う。インターネットを使った仕事をするということではなく、あの頃の中学生では知りえなかったレベルの世の中のことを知れる道具があったらと思うと、間違いなく今ブログを書いているこの場所にはいないだろうと思う。良いか悪いかは別として選択肢がより具体的に見出せる今の中高生は羨ましい。それを言い出したら就職する頃にはネットが普及していた自分たちの世代でも同じく羨ましがられるかもしれない。それでも人生の方向性が決まる要素のふり幅が最も大きいであろう中学生のときに、誰にも相談しなくても自力で無限の情報が得られる環境があるということは凄く大きなことだと思う。

 

でも自分のような精神力で中高生のときにスマホを手にしていたら間違いなく支配されているだろうとも思う。今でも画面を見ながら無駄な時間を過ごしてしまったなと頻繁に思うのに、子供のころだったら1日中さわっていそうで怖い。ゲームボーイですら親の目を盗んでやることが生き甲斐かのようだった。一長一短、手にしたアイテムの良いところだけを扱うにはそれなりの能力と精神力が必要だ。人生の顛末を道具のせいにしている時点でダメなんだろうとも思うけれど。

 

昭和に生まれ、平成で鍛錬し、令和で結果を出す。(明日から本気出す!みたいな) そんな意気込みでやっていきたい。令和の終わりには生きているかは分からないけれど、新たな文明に対して言い訳をしないで済むように生きて行こうと思う。