彼女を全面的に応援するとは言えないが、功罪でいえば私は圧倒的に功が大きいと思う。罪の部分だけを極端に捉えおかしいと糾弾することは手軽だ。ブログで何度も言い続けているが、目にした記事の一端ですべてが悪いと解釈しすぐに発信してはいけない。それは自分の罪をさらけ出すことになる。
児玉千明議員については少し前にテレビ番組で猟師の狩りガール議員として紹介されていたのを見て知ってはいた。女性で狩りをするなんて勇ましいなという印象だった。性格も明るめで男性に混じって狩りをするイメージが出来るような活発さが見て取れた。今回のことでインスタなどの様子を知ることになったが、まあサービス精神多めというか笑わせたガールなんだろうなということも知ることとなった。私は田舎育ちながら動物を狩る、さばく等の経験はない。だから単純にそういうことが出来る人を尊敬する。本来は誰もが死を目の当たりにしてから食べるべきだと思うが、分散効率化の世の中ではなかなかそれは難しい。だからこそ彼女のような人がそれを発信し、思い出させてくれることは素晴らしいことだと思う。
今回批判を浴びている理由。主にはさばいた動物を前にふざけたような表情で写していること、普段の言動にも動物への配慮がないといったことだ。確かに今回のような写真をアップする人は珍しいし、命を頂く流れとしては少し軽い気はする。しかしそれを言ってしまったら釣り人のSNSやブログなどはどうなるのか。山の動物と魚を差別していないか?これはちょっとあげ足取りだとしても、命の取扱いの差を上辺だけで判断することは安易だと思う。
凄く身勝手な妄想をすると、ペットを溺愛する人が今回の炎上を見て一心不乱に書き込んでいる。「かわいそう」「恥を知れ」「動物虐待」「辞職しろ」ひといきついて自分の食事とペットのエサの用意。「いただきます」「ごちそうさま」もうちょっと炎上させてやろうかな、こいつムカつくし。
それぞれの「いただきます」や「ごちそうさま」にどれくらいの感謝が込められているかは分からないし言わない人も多いだろう。ただ自分で殺して食べた経験がある人と他人に殺してもらったものしか食べたことがない人の命への感謝は質が違うと思う。加工された肉しか食べていない人が毎回の「ごちそうさま」にその動物を思い浮かべることはまずないだろう。そんな人々に狩猟や屠殺の現実を思い出させることは動物への感謝につながると思う。
批判の中に「子供に見せられない」というものが多くあった。幼い子どもが見てしまうとキツい部分はあると思う。免疫のない人からすれば悪魔の所業にしか見えないかもしれない。でも我々は命を奪って生きていることに目を背けるべきではないと思う。彼女は善意で拡散させる意味でも笑ってもらえる方が良いと考えたのだろう。お堅い記事で構成しても面白くなければ広まらないし見てもらえない。狩猟の現実を広く知ってもらうには興味を持ってもらう必要がある。やり方は万人うけはしないかもしれない。ただ私が見る限りは彼女に悪意は見られないし、一般的な人々と比べれば動物に対しての敬意は大きい人だと思う。動物を虐待している写真を載せたわけでもなく、ちょっと笑わせたろかと変顔と処理肉を一緒に写しただけでこの炎上は責め過ぎだ。
矛先が違うと思う。ペットショップの供給過多、飼育放棄で捨てられた動物たち。人間の利益や身勝手のために殺処分される動物たち。普通にペットを飼いたい人たちの欲求と動物たちの苦しみを天秤に掛けたら、私はとりあえず適正な数になるまでペットショップの販売は禁止、保健所からの引き取りのみ飼育できるとしてもいいくらいだと思う。強めに言えばペットショップで動物を購入している人はすべてに罪があると思う。買ったペットは大切にするかもしれない。でもそのペットを買った店の売上に貢献しているということは、売れ残って殺処分される動物たちを生み出している資金を提供していることでもあるのだから。
惰性で「いただきます」を言っている人と、言わないけれど動物の死をイメージ出来ている人とどちらが動物への感謝があるだろうか。ハンバーガー片手に動物愛護を語っている人と間引き目的の狩猟で殺した鹿のジビエ料理をほおばっている人とどちらが罪があるのだろうか。上辺の批判は簡単だけれど本質を理解することは簡単ではない。軽々しい批判は己の罪を炙り出す。ペットショップで買ったペットを飼いながら、今回の炎上の一端になっている人たちの言葉は信じることは出来ない。