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獣になれない私たち / 黒木華

「若狭湾と相模湾」このキーワードを元に脚本を書いたのではないかと思うくらいに第7話はきれいだった。さまざまな対峙と対比。晶と朱里、晶と後輩社員、母と息子たち、そして晶と京谷。対局にある人と出会うことで人は変われることが出来るのかもしれない。中でも最大の問題だと思われた朱里との会話によって、ようやく内面の変化が見られた晶は清々しかった。晶パートとしてはこれで最終回でもよいくらいスパッと京谷を切った。しかし次回予告では朱里側の変化で大変そうだけど。

 

何気に「西郷どん」も見ているので黒木華のギャップに感覚の調整が必要である。でも今回の朱里の話を聞いていると糸と朱里は紙一重で、挫折の有無によって立場は入れ替わるのかもしれないと感じた。根がまじめな人ほど完璧を求めがち。1つの歯車の狂いによって朱里のようになってしまうことは実際多いのだろう。ただドラマとして成立できているのは各キャラクターのスペックが高く自己主張が出来ることにある。実社会の中では対峙してくれる人にも会えず、何のドラマにもならず追い込まれていくケースがほとんどだと思う。それでもこのドラマにはそれを打破するヒントが散りばめられているのではないだろうか。

 

不幸の背比べは楽しいですか、という恒星のセリフにビールを浴びせた朱里だったが、晶という反面のキャラクターと対峙し、恒星という本音で毒舌を言う人間と会うことでやっと変わるきっかけが出来たのだろう。まわりにそういう人間が存在することは運によるが、少しでも積極的になることで出会う確率を上げることが出来ると思う。朱里が5tapに足を踏み入れたのは偶然だとしても動いたからこそ掴めた出会いである。良くも悪くも変化をもたらすには動くことが必要である。

 

この物語はどのキャラクターも極端すぎて完全には感情移入できないが、あえて気持ちが分かると言えば朱里なのである。本当は人に気を使うという無駄な労力を掛けず自分の仕事に専念したい。でも社会に関わる以上は他人の気持ちも考えなくては軋轢を生む。どちらのストレスを捨てたいかという選択なら、気を使う社会を捨てて好きなことをやって生きていきたい。1人になっても生きていけるなら。結局生きてはいけないという物理的な壁に直面し衝突するまでのチキンレース。朱里はやっとハンドルを切れたのだろうか。