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獣になれない私たち / 野木亜紀子

 

作品や出来事の感想中心のこのブログだが各タイトルについて悩む。小説や漫画、音楽等はタイトル+作者名になるがドラマや映画は+何になるのか。監督や主演俳優では違う気がする。そもそも漫画や楽曲も1人で製作されていることはほとんどない。大勢の人たちが関わっている。タイトルに統一性を持ちたいが難しい。2018年11月現在不揃いだが今後変えていくかは未定。そこで今回はこのドラマを見ようと思った理由であるシナリオへの期待から脚本家名にしてみた。

 

重版出来と逃げ恥もよかったのだが、オリジナルの脚本であるアンナチュラルがさらに面白かったので今回の「けもなれ」にも期待していた次第。やっぱりドラマはシナリオあってのものだと感じる。俳優の演技力やアドリブ、音楽やカメラワークなどはそこから加点や減点されるものであり、基本のストーリーが悪くてはなかなか総合評価は高くはならないと思う。時間も限られるので毎クール数本のドラマを選ばなくてはいけないのだが、考えてみれば過去面白かったドラマと同じ脚本家から選択すればハズレ率は下げられるだろう。ただこれも似たような話になる危険性はあるのだが。

 

今のところそんな危惧は全く持つ必要はないくらい私的には新鮮で面白い。継続して見れている「下町ロケット」や「大恋愛」も面白いのだが、各キャラクターの立ち具合は「けもなれ」が他を圧倒している。主演の2人はもちろん脇の恋人、同僚、家族までがいちいち濃い。少しオーバー気味だけれど演技が好きな伊藤沙莉の楽して生きたい後輩社員など、こんな酷い人は実際にはお目見えしないけれど突き抜けていて逆に清々しい。パワハラの社長や頼りない後輩、優柔不断な恋人、そこに住み込む元カノ等々がどんどん彼女を追い詰めているが、もう1人の主人公である口の汚い冷徹会計士が絡むことで解決の流れになるのか。見るのが辛くなるストーリーだがそれぞれが悩みと葛藤で生きている様が伝わってきて目が離せない。どの人も酷いキャラクターに見えがちだけど根底には共感してしまう部分を持つ。それらをうまく絡ませて、現代に生きる人々の内面を上手く表現されていると思う。新垣・松田の両主演の演技も感情を表立って爆発させない淡々とした表現により、奇怪な心を持った人々に囲まれてもなお2人の異様さも際立っている。異様だけど少しづつ共感が出来る人々が織りなすこの物語の顛末を、ずっと見続けていたいと感じさせるのは何故だろうか。

 

淡々と仕事をこなしながら恐ろしくも痛々しいガッキーの鼻歌があった第5話。ラストの誤魔化しのキスの積極性にキャラとの違和感があったけれど、京谷がどうするのか気になるところ。冒頭の断れない女VS協調性ゼロの女の対決はガッキーの勝利でよかっただろうか。現代社会でストレスを背負い込んでいる2強の戦いは、結局どちらも楽な方に逃げているだけなので立場を入れ替えても元に戻ってしまうのだろう。