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LGBT支援 杉田水脈氏の意見について

 

私は政治学者でもないし、政治について詳しく勉強したこともない。そもそも政治とはなんだろうと思う。自分の中では集団の平等を促すものというイメージ。素人の政治論を記しておきたくなった。最近話題のストローマンな文章を目にしてしまったので。

 

政治に望むことはたくさんある。①国民生活の安全の保障②社会の不平等の排除③生活水準・利便性の向上、大きく分けると思いつくのはこの3つ。経済政策や外交政策などもこれに含まれると思う。教育については政治や国民生活の基本となる部分。誰にも平等に受けられる権利を保障しなければならない。

 

ただし政治家も国民も人間である。政治家はすべての国民の希望を汲み取れない。税金も時間も限られている。そうなるとすべきことに優先順位がつけられる。緊急を要するもの、長い期間が必要なもの、あとまわしにするもの、不要なもの。災害対策などは長期的な準備と蓄えによって緊急対応も可能になり、避けられない必須項目の1つだ。しかしこれが戦争対応だとどうだろう。起こるかどうかも分からないことに対しての見解は分かれるし、そもそも日本は9条で武力行使は放棄している。それなら侵略されたらどうするのか、軍備はどこまで必要なのか。これは社会情勢を加味して議論していくしかない。

 

長期的に必要な対策は今回の政治論ではひとまず置いておく。緊急を要する政策もたくさんある。今起きている豪雨災害。食糧支援もままならない地域がまだある。ドローンで送ることは出来ないのだろうか。他にも難病や公害で苦しむ人々への支援、少子高齢対策、LGBT支援、格差是正、ひきこもり問題。もともとは長期対策が必要だったものが時代が進み待ったなしになってしまっている。緊急対策が必要なものとは今の苦しみを少しでも軽減する事、目の前に迫っている大問題が起こらないよう備えることを指す。

 

それでも予算と時間は無限ではないので振り分けをせざるを得ない。ここが政治家の腕の見せ所だと思う。苦しんでいる当事者はやっぱり、早く多く自分を助けてほしい。目の前に苦しんでいる人がいたら助けてあげたい。政治家も人の子で助けられるならみんな助けたいと思うだろうし、選挙の為にもやれるもんならやるだろう。でもそれは不可能であることを理解することが政治を理解する第一歩だと思う。

 

それならどうやって振り分けるのか。要素はたくさんあるし、その都度吟味が必要である。苦しみの度合い。緊急性。対策の効果。予算。該当者の人数。範囲。発生の理由等。ここで取り上げたいのが「生産性」だ。杉田氏の記事は全文読んだ。生産性が指す意味が少し曖昧だったが、端的に言えば税金を払う能力なのだと思う。あくまで端的にと念押ししておく。LGBT支援には見返りがないということだ。次世代の納税者を生み出せないから。これを振り分けの要素とみていいのかどうか。

 

杉田氏は「LGBT支援の度が過ぎる」と問題定義している。私もリサーチし切れていない部分があるが、LGBT支援に対してどれ程の税金が投入されているのか公的機関がどれくらいの労力を使っているのかは分からない。現在のマスコミの報道や社会の盛り上がりに比例して、今後支援が増大していく傾向にあることに警笛を鳴らしたかったのだろう。優先順位が高すぎると。批判覚悟でいえば私もそう思う。

 

当事者や支援者から非難の声が上がるのは当然だと思う。ましてや生産性を理由にされては差別されていると感じるのも分かる。でも支援の度合いは必要性に応じて分配してもらわないと、不平等を招くし必要な人に支援が回らなくなってしまう。政治家は苦しんでいる当事者のリアルな情報と、当事者ではない客観的な情報を冷静に分析し支援の度合いを決めなくてはならない。

 

私はLGBT支援は必要だと思う。ただこれ以上の支援に躊躇する理由がある。

①差別問題としては国民の意識改革は進み始めていること。LGBTの問題の1つである差別意識は10年20年前に比べれば、社会的には少なくなったと感じる。TV番組でもキワモノ扱いでのスタンスは少なくなり、むしろ中立的な意見を発信できる貴重なタレントが増えた。差別はむしろ家族や学校、会社や地域など範囲の狭いところで残っている。人種差別(主に日本では朝鮮)、男女差別、部落差別、学歴差別どれも意識の問題。差別者を悪とする風潮をじっくり作っていくしかない。

②身体的負担の問題としては主に心のケアが必要だと思う。ただこれも意識の問題という部分もあるし、酷いことをいえば物理的な痛みや死があるわけではない。痛みをともなう難病や余命宣告される病に比べると優先順位は低い。不治の病も薬や治療の研究で治るかもしれない。LGBTの場合は心の問題ではあるが治したいのは正常な体の方という矛盾もはらんでいる。病気の支援をしてほしい人からすれば、病気ではない体を変えるための支援は賛同しにくいだろう。

 

LGBT当事者の苦しみとはなんだろう。周りの偏見差別から来る理不尽な攻撃。心の性別とは異なる生活を強いられる心労。打ち明けられない故のストレス。それぞれの苦しみが自分に何の落ち度もないことへの落胆、怒り。また子供についても普通には授かれないつらさ。社会的なうしろめたさ。ただこれはどれも間違った考えから来ている。本来なら差別される理由も、心と違う生活をする理由も、隠す理由もない。社会に合わせる必要はない。社会が間違っているが、その社会に刃向うのはもっと苦しいからもう一方の苦しみを選んでいるのだ。あと血を分けた子供が欲しい。恋愛がしたい。という苦しみに関しては支援はされにくいだろう。不妊の人もいて養子制度(別性の方が手続きはしやすいと思うが)があるし、同性の恋愛の難易度は容姿に自信がない人などコンプレックスの大きい人の恋愛の難易度と比べられないし、そもそも恋愛は義務でも権利でもない。恋愛が出来ないから支援しろとは誰も言わないだろう。

 

公的機関が婚活パーティを税金で主催するのは将来の財源確保の為だ。結婚の先に子供が出来る可能性は高いし、夫婦になった方が助け合う分長く税収は見込めるだろう。こんなあからさまな「生産性」を理由にした支援はないだろう。税収が見込めれば、ひいては国民の生活の安定につながる。あきらかな生産性は理由になりうるということだ。LGBTの当事者の苦しみは、ほかの苦しみを持つ被支援者に比べると軽いとは言えない。でも本人や周りの考え方次第で軽減される苦しみであり、逃げも隠れも必要なく立ち向かえば切り開いていける苦しみである。己の意識で変えられて、民間の支援もある。だが生産性はない。

 

公害による場合は国に責任があるし、命を脅かし痛みをともなう病は至急の対応が必要になる。日本には将来的な税収の確保も必須の中、投入される財源は限られるから生産性の高いものを優先する。LGBTの問題はどれにも該当しないということ。極論を言えばLGBTの支援に生産性があれば、問題自体の深刻度が低くても優先度が上がる可能性はあるということ。厳しいことを言えば、深刻度+生産性で優先順位は変わるということだ。例えばひきこもり支援。8050問題のように80代の親と50代の子供のケースがどんどん増えていく。就職氷河期の世代が非生産的な暮らしで生活している。現在普通なら最も税収が見込めた世代だ。かわいそうだが先天的な問題であるLGBTと比べると自己責任というワードが浮かんでしまう。一概には言えないのだが私の中で支援の優先順位はLGBTより下だ。でも彼らを支援して立ち直らせることが出来れば、生産性が上がり税収が増えるのも間違いない。国民全体にとってはプラスになる。

 

LGBTは決して軽んじてはいけない問題だとは思うし、世の中の意識は変えて行かないといけないが、誰かが支援の分配をしなければならない。杉田氏は文章化して世に提言した。反論は上辺の抗議ではなく、冷静な理屈で述べるべきであると思う。政治の目を向けないといけない問題は他にも山のようにあるのだから。