漫画家編の展開が早い!デビューまではじっくり進んでたのに。
世紀末が近づいているけれど、最終的に鈴愛が何才まで描かれるのだろうか。現在までなら48才?それとも現実を追い抜く?まだ前半の段階で漫画家編も佳境に入っているっぽいので、その後はどうなっていくのだろうか。ネタバレをカイクグっているがいったい何を発明するのか。
それにしても期待をしていた漫画家編。現実と比べると異なる部分はあると思うけれど、漫画家という仕事を少し垣間見れて良かった。
2017年の小学生男子の将来就きたい職業ランキングトップ20には、既に漫画家がない。小学3年生の9位に辛うじて残っているが風前の灯である。1980年代に小学生だった私たちの年代でも、それまで漫画に費やされていた時間はビデオ(録画したテレビ番組)やゲームに既に分散され始めていた。ましてや現代にはインターネットがある。最新のものをしかも定額(感覚はタダ)で提供している魔法の薄い板。あらゆるものの時間、価値観、サービス、売上を一気に変えてしまった。活字離れに始まり出版不況、漫画村問題等で漫画環境も大きなダメージを負ってしまった。
意外と物語を提供しているコンテンツは変わっていない。小説(ライトノベル)、漫画(アニメ)、ドラマ、映画この4つと、少し受け取り側の意志を取り入れるゲームの5つだろう。解像度とCGが発展して、映像を用いるテレビ番組やアニメ、映画、ゲームは格段に綺麗に細かくなった。漫画もデジタル化で作成の手間は格段に減った部分もあるけれど、本質は変わっていない。基本的にモノクロ、動かない、音が出ない。なんとなく時代遅れな媒体。なりたい職業ランキングでももうすぐ消えそうなこの職業。それでも私は漫画が最高のコンテンツだと思っている。
後発のゲームクリエイターやユーチューバーもいなかった時代。漫画家に憧れた少年少女はどれだけいただろうか。私もその一人だ。漫画がコンテンツとして優れていると思ったのはそのときではない。むしろ映像技術が向上したあとの実感だ。デジタル化で漫画も実写を取り込んだり(一部あるが)、カラーになったり、あるいはちょっとコマの中で動いたり、一瞬そうなりかけたが結局モノクロで手書きで静止した漫画が主流のままである。その「変わらなかった理由」=「最強コンテンツである理由」なのだと私は思う。
今やCGでなんでも本物のように召喚してしまえる時代。作り手の視覚表現の極限まで来たのではないだろうか。映画館ではさらに風や飛沫を出したり、座席が動いたり4D・5Dといった体感表現も加えてきたりしている。ただ表現方法が高度になる程、それに関わってくる人員はどんどん増えてくる。ストーリー、脚本、CG、音楽、俳優(声優)美術セット等何人のスタッフがいるのだろうか。万引き家族の感想に書いたように推測にすぎないが、配役や舞台セット・テーマ曲や小物など監督は妥協せずにすべてチェックや指示は可能だろうか。さらにスポンサーが絡むと拒絶は出来ない。
漫画は広げなかった。モノクロのまま手書きのまま静止画のまま。それ以上増やした場合は監督能力を超えてしまう。人員コストは増えても見返りは比例しない。現状維持を選んだ。デジタル化で得たコストダウンの恩恵は現在の売上縮小で吸収されてしまっているだろう。監督の目が行き届かない作品には妥協が生じる。監督が100%納得できる限界の表現は漫画だ。もちろん巷には手抜き漫画も溢れている。それは結果であって漫画家が認識できる責任の範囲内だ。漫画家が悪い。
VS小説が残っている。基本的作成方法は昔から一切変わっていない媒体。ある意味究極の表現方法。文字だけで感情移入させ感動させる。もうそれで十分じゃないだろうかと思う。ただ欠点がある。読者に委ねられている部分が大き過ぎるため、間違って話を解釈する場合がある。むしろほとんどそうだ。国語の問題で正解とされた答えが作者の意図とは正反対だったなんて笑えない話がある。教える立場の教育者も何もわかっていなかったというオチ。それくらい難解な表現方法だとゆうこと。
ザックリ過ぎる漫画が究極コンテンツ論。まとめると映像が絡むと妥協が出る。絵がないと観るものを選ぶということ。妥協なく思っている方向に観る者をいざなえるもの、それが漫画だと信じている。漫画文化が滅びないこと、再び盛り上がることを切に願っている。
世の中には表現の欠点を逆手に取った作品もある。小説「ハサミ男」をご存じだろうか。今は亡き殊能将之氏の傑作である。是非ネタバレを見ずに読んでほしい。あなたの想像しながら読んでいる情景が全くの解釈違いであることに驚くはず。
それから小学生が将来つきたい職業ランキング女子第7位は漫画家・イラストレーターである。鈴愛になりたい女の子はまだまだたくさんいるようで安心した。この灯を消さないために何か出来ないか模索中である。お前に何が出来るとツッコミは受け付けない。